1889年の事件当時、ガブリエル・ボンパールは22歳だった。一流の酒場やホテルのロビーで客を拾っていたというから、娼婦としては上等の部類に蔵する。そんな彼女は遊び人ミシェル・エローの愛人になってからは美人局の常習犯になっていた。顧客をミシェルが脅すことで、これまで以上の稼ぎを上げていたのだ。そんな折りに2人が次なる獲物として眼をつけたのがトゥッサン・グッフェだった。地主であるこの男は、自宅の金庫に大金が眠っていることをいつも自慢していたのだ。
「一思いにバラして、みんな奪っちまおうぜ」
かくして不埒なカップルは殺人を画策するに至ったのである。
その殺害方法は極めてユニークだ。
まず、ガブリエルがムッシュ・グッフェを自らの部屋へと招く。それはパリの洒落た通りに面したワンルームのアパートだった。ベッドの枕元にはカーテンで仕切られたアルコーブ(床の間)があり、そこには相棒のミシェルが隠れていた。
ガブリエルはグッフェをベッドへと誘った。「キッスは殺しのサイン」とばかりにブッチュラブッチュラした後に、自身のローブの帯を解いて上半身を露にした。
オッパイや、ああオッパイや、オッパイや。
眼前に解き放たれた豊穣なる膨らみに心を奪われぬ殿方などこの世にはおるまい。ウブウブウブと顔を埋めたことは云うまでもない。と、その隙にガブリエルは「うふふ、可愛い子」などとおっさんを愛でながら、先ほどの帯をその首にグルリグルリと巻きつける。
「もう我慢できない!」とおっさんが彼女に伸し掛かったその時に、隠れていたミシェルが首に巻かれた帯に鉤を引っ掛け、そして思いっきり紐を引いた。その紐は天井に固定された滑車経由で件の鉤に繋がっていた。故におっさんはチンポコおっ勃てたまま宙吊りとなり、目玉が飛び出すほどに見開いて、手足をジタバタさせた挙げ句、お亡くなりになった次第である。チーン。
「こんな死に方はイヤだ!」上位にランキングされる死に様ではなかろうか。なにしろおっさんは欲望を吐き出せぬまま死んだのだから。
かくして事務所の鍵を手に入れたミシェルは、お宝を手に入れるべく忍び込むも、プロの金庫破りではないわけだから一向に捗が行かない。畜生。このまま金庫ごと運び出したろかなどと思案していると、すわっ、まさかの人影。夜警の夜回りにビビって這う這うの体で逃げ出したというから何と間抜けな。結局、彼奴らはムッシュ・グッフェの命を奪えども一銭も得られなかったのだ。否。所持していた端た金くらいは手に入れたのかな?
この後、2人の間でどのような会話が交わされたのかは詳らかではないが、手ぶらでノコノコと帰って来たミシェルが、ガブリエルに烈火の如く怒鳴られたことは想像に難くない。これではいったい何のために殺したのか判らない。しかし、とにかく殺しちまったのだから、後始末をしなければならない。遺体をトランクに詰めると、翌朝にもリヨン行きの列車に飛び乗り、トランクごと川に遺棄した。そして、マルセイユで船に乗り、アメリカ大陸に高飛びしたのである。
端た金しか得られなかった割には大きな出費だ。犯罪とは割が合わないものであるなあ。
数ケ月後、件のトランクが打ち上げられたわけだが、腐敗がかなり進行しているので、身柄を特定することが出来ない。それでも検視官が頑張ったおかげで、被害者は膝に水が溜まる病気を患っており、おそらく足を引き摺っていたであろうことが判明した。また、その歯から年齢を絞り込むことが出来た。失踪者のリストと照らし合わせたところ、唯一該当するのがムッシュ・グッフェだった。
また、特徴あるトランクはロンドンの店で売られているものであることが判明した、店員は購入者のことをよく憶えていた。艶やかな若い女だ。その特徴はムッシュ・グッフェの晩年のガールフレンドと一致した。ガブリエル・ボンパール。彼女が関与していると見て間違いないだろう。
一方、その頃の2人はサンフランシスコにいた。間もなくガブリエルは不甲斐ないミシェルを見限って別の男に取り入り、
「あいつに脅されてるの。どうか私を助けてちょうだい」
こんな駆け引きは娼婦の彼女にはお手の物。しかし、彼女にはアメリカの水は合わなかった。食いモン不味いからね、アメリカは。かく云う私もサクラメントで3週間ほど暮らしたことがあるが、ステーキでさえも不味かった。唯一美味かったのがオニオンリングという情けない食文化だ。
…ええと。何の話だっけ?
ああ、そうだ。アメリカに高飛びしたフランス女の話だった。
結局、故郷が恋しくて、件の男と共にフランスに渡ったわけだが、すぐに己れの身の上が指名手配中であることを知る。最早これまでと判断、酒井法子の如く自ら出頭し、すべての罪を相棒の自称プロサーファー、否、ミシェル・エローに押しつけたのだった。
「私は彼に脅されて協力しただけなのです」
やがてミシェルはキューバでウロついているところを逮捕された。
両名は共に殺人の容疑で有罪になったわけだが、量刑は異なる。ミシェルが死刑を云い渡されたのに対して、ガブリエルは20年の懲役に留まったのだ。如何にも不均衡であるが、当時のフランスでは女性をギロチンに掛けるのは忍びないとの風潮が蔓延していたらしい。哀れなミシェルは法廷で、
「なんで俺だけ!?」
と叫んだそうだ。気持ちは判るが、まあ、仕方あるまい。直接手を下したのはお前なんだし。
結局、ガブリエル・ボンパールは10年後には仮釈放された。その後は行方知れずである。真っ当に暮らしていて欲しいものである。
(2009年8月18日/岸田裁月) |