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ミゲル・バレット
Miguel Barreto (プエルトリコ)


 1991年10月6日、サンフアンの西50kmほどの小さな町、ハティージョでの出来事である。参考文献には「彼らが家と呼んでいたトタン屋根の木造の小屋」と、些か侮蔑的に書かれているが、そこに住んでいたのだから家には違いない。とにかく、そこでミゲル・バレットは兄のエミリオを殺害した。凶器はマチェーテ(中南米原住民が伐採に用いる鉈)だった。この野蛮さが参考文献の執筆者をして侮蔑的にさせた原因だろう。

 その後、バレットは隣家に押し入り、2人の子供と母親のグロリア・ヴァスケス(38)、そして、子供たちの祖母(62)を殺害した。凶器はやはりマチェーテだ。残酷の極みである。
 やがて騒ぎを聞きつけた野次馬が集まり始めた。その中にバレットの叔母がいた。バレットは躊躇することなく斬りつけて、彼女を死に至らしめた。

 この大虐殺に終止符を打ったのはグロリアの内縁の夫、ダーウィン・デルガドだった。知らせを聞いた彼は我が家に走り、そして、愛しき家族の惨殺死体を目の当たりにした。彼もまたマチェーテを手にしていた。そして、目の前にいる殺人者と猛然と戦い、遂に討ち取ったのである。

 バレットを調べた捜査当局は、動機らしい動機を発見できなかった。どうしてこんなことを仕出かしたのか判らず終いだ。まあ、キチガイだったのだろうが、参考文献の少な過ぎる記述ではなんとも云えん。

(2011年1月29日/岸田裁月) 


参考資料

『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)


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