ミシガン州アン・アーバーの退役軍人病院では、1975年7月1日から8月15日にかけて56件もの原因不明の呼吸停止が相次ぎ、うち8人が死亡していた。特に8月12日は異常だった。午後6時から9時までの3時間に8件もの呼吸停止が相次いだのだ。誰もが思った。
「この病院に殺人者がいる!」
検視解剖の結果、いずれの遺体からもクラーレを原料とする筋弛緩剤パブロンが検出された。明らかに殺人である。遺体には注射痕がないことから、点滴のブドウ糖水溶液に混入されたものと思われた。
当病院は連邦政府の管轄下にあることから、捜査にはFBIが乗り出した。聞き込みの結果、得られたのは2人の看護婦の名前だった。共にフィリピン人のフィリピナ・ナルシソ(30)とレオノラ・ペレス(31)である。呼吸停止の直前に必ずどちらかが目撃されていたのだ。
ところが、動機となると皆目見当がつかなかった。共に勤勉な看護婦で、患者を殺さなければならない理由が見当たらないのだ。
また、筋弛緩剤の混入自体を目撃した者はいなかった。故に極めて困難な訴追だったと云わざるを得ない。13週間にも及ぶ審理の結果、共に殺人については無罪になった。毒物混入と殺人謀議については有罪が下されたものの、控訴審では破棄された。つまり、本件は未解決に終わったのである。
この2人の看護婦が犯人だとして、動機はいったい何なのか? まず頭に浮かぶのが「代理ミュンヒハウゼン症候群」である。1991年にイングランドでビヴァリー・アリットという看護婦が患者に毒を盛っていたケースで、この症状が診断されている。しかし、本件において2人を診断した精神科医はいずれも「正常」としている。果たして本当に「正常」だったのだろうか? 当時はまだ「代理ミュンヒハウゼン症候群」があまり知られていなかったのではなかろうか?
(2009年3月7日/岸田裁月) |