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ジョージ・ヨーク
ジェイムス・レーサム

George York & James Latham (アメリカ)


 

 トルーマン・カポーティ著『冷血』には、ペリー・スミスとリチャード・ヒコックの他にもう一組の殺人チームが登場する。同じ死刑囚監房に収容されていたジョージ・ヨーク(18)とジェイムス・レーサム(19)である。スミスたちが単に金目当てだったのに対して、彼らは殺人そのものが目的だった。いくつもの州を渡り歩いて殺人を繰り返していた彼らは、今日的な連続殺人者の先駆けと云えよう。

 共に不良脱走兵の彼らが最初に人を殺めたのはフロリダとジョージアの州境においてだった。フロリダ州ジャクソンヴィルにあるヨークの実家を訪ねて来たのだが、親に会わせる顔がないと思ったのか急遽中止。ガソリンスタンドで出会った2人の婦人、アルセア・オッタヴィオパトリシア・ヒューイットを道案内すると見せかけて沼地に連れ込み、そこで首を締めて殺害したのだ。1961年5月29日のことである。

 奪った金で拳銃を手に入れた彼らは、テネシー州タラホーマでセールスマンを射殺。彼の赤いダッジを奪うとミズーリ州セントルイスに向かい、ここで更に2人の男性を殺害した。次に向かったカンザス州での犠牲者は62歳のオットー・ジーグラーだった。ボンネットを開けて停車している赤いダッジを見かけた彼は親切心で近づいた。
「故障かい? どれどれ、私が見てやろう」
 その刹那、5、6メートル離れたところからヨークが後頭部を撃ち抜く。そして、レーサムに向かって云ったとさ。
「どうだい? いい腕だろう?」
 こいつら、殺しを心底楽しんでいやがる。

 最後の犠牲者はコロラド州のモーテルで働く18歳の娘だった。カリフォルニア行きを誘われた彼女は軽率にも同意し、数日後にクレーグ近くの谷底で血まみれになって発見された。

 結局、1961年6月10日にユタ州ソルトレイク・シティでお縄となった彼らは、7人も殺めたとは思えない好青年だった。カポーティはこのように記述している。
「ある地方テレビ局が、彼らとの会見を撮影することを許可された。そのフィルムは、もし音声なしで写されたら、陽気な、牛乳で育った二人のスポーツマンが、ホッケーか野球の話でもしているように見えたことだろう」
 ところが、音声だけだと怪物だ。
「俺たちは彼らをこの世の地獄から解放してあげただけなんだよ。親切でしてあげたことなんだ」

 証拠が最も揃っているオットー・ジーグラーの件でのみ裁かれた彼らはもちろん有罪となり、ペリー・スミスらが首を吊られた「コーナー」で1965年6月22日に処刑された。

(2008年10月3日/岸田裁月) 


参考文献

『冷血』トルーマン・カポーティ著(新潮社)


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