チャールズ・ホイットマン |
チャールズ・ホイットマン ホイットマンとその妻キャシー |
1966年7月31日午後7時近く、テキサス州オースティン、ジョエル・ストリート906番地の自宅で、チャールズ・ホイットマンはかような手紙をタイプライターで書き綴った。 |
ホイットマンが犯行に用いた銃器 ホイットマンが籠城に備えた生活必需品 |
明けて1966年8月1日午前9時、ホイットマンは銃砲店に出向き、中古の30口径カービン1挺と銃弾8箱を購入。現金で支払いを済ませ、店員には「フロリダに狩りに出掛けるつもりだ」と話した。9時30分には別の銃砲店に寄り、銃弾を更に6箱購入。支払いは小切手で済ませた。その際に、 |
テキサス大学の時計台 |
午前11時25分、ホイットマンはテキサス大学本部棟の職員専用駐車場に乗り付けた。その日は雲一つない快晴で、気温は日陰でも37度もあった。台車でトランクを運ぶ彼は、警備員に「研究資材を届けに来た」と説明し、時計台のエレベーターへと向かった。 |
展望台から立ち上る硝煙 |
最初に標的になったのは、キャンパス内を自転車で新聞配達していたアレック・ヘルナンデス(17)だった。脚を撃たれた彼はその場に崩れ落ちた。次いで3人の学生が続けざまに倒れた。しばらくの間は何が起こったのか、誰にも判らなかった。人が集まり始めると、ホイットマンは此れ見よがしに狙い撃ちにした。 |
ホイットマン一家 |
本名チャールズ・ジョセフ・ホイットマンは1941年6月24日、チャールズ・アドルフ・ホイットマンとマーガレットの第一子として生まれた。8回の引っ越しを経て、1947年初夏にフロリダ州レイクワースに落ち着く。その頃からピアノを習っていた彼はかなりの腕前だったという。11歳でボーイスカウトに入り、翌年には世界最年少のイーグルスカウトに昇格。高校は72人中7番の成績で卒業している。端からは非の打ち所のない人生に思える。 (2008年12月8日/岸田裁月) |
参考文献 |
『現代殺人百科』コリン・ウィルソン著(青土社) |