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ドロシア・ワディンガム
Dorothea Nancy Waddingham (イギリス)



ドロシア・ワディンガム

 ドロシア・ワディンガム(36)には看護士や介護士の資格がなかった。にも拘らずイングランド中部ノッティンガムに老人介護施設を開いたのは、それが儲かると思ったからだ。ところが、思っていたほど儲からなかった。ここは一つ、思い切ったことをやってみよう。コムなんとかの会長がそうであったように、彼女も人の道を踏み外してしまった。

 1935年1月、バグレー夫人(89)と、その娘で寝たきりのエイダ(52)がドロシアの施設に入所した。2人ともかなりの介護が必要だった。そこでドロシアは娘のエイダにこのように提案した。
「お2人の終身介護を約束しますから、その代わりに遺産を当施設に譲って頂けませんか?」
 身寄りのなかったエイダはこれに同意し、同年5月6日にドロシアとその助手のロナルド・サリヴァン(39)を共同相続人とする遺言状を作成した。

 母親のバグレー夫人が亡くなったのは、その6日後のことである。死因は嘱託医により「老衰」と診断された。
 4ヶ月後には娘のエイダも母の後を追った。もともと寝たきりだったために嘱託医も疑うことなく、死因を「脳溢血」と
診断した。

 このまま何もなければドロシアの犯行は発覚しなかったかも知れない。しかし、勇み足の彼女は保健所にエイダの遺言だという手紙を送りつけた。
「死後は火葬にして下さい。また、私の死は知人には知らせないで下さい」
 う〜ん。こいつは怪しいぞ。
 エイダの遺体は検視に回された結果、致死量のモルヒネが検出された。掘り起こされた母親も同様である。

 かくして、ドロシア・ワディンガムとロナルド・サリヴァンの両名は殺人の容疑で逮捕された。
 ドロシアは「嘱託医の指示に従っただけよ」と抗弁したが、これに嘱託医が猛反発した。
「そんなこと指示した憶えはない。患者が死ぬような指示を出すわけがない。第一、患者が死んで得するのは私じゃない。あなたじゃないか!」
 また、ドロシアがいつも「エイダの介護が大変だあ」とボヤいた後に「でも、そんなに長いことないから」と付け加えていたことが明らかにされては勝ち目はない。有罪を評決された「ニセ白衣の天使」は1936年4月16日、絞首刑に処された。
 一方、助手のサリヴァンは証拠不十分で無罪放免となった。

(2007年10月24日/岸田裁月) 


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)
『LADY KILLERS』JOYCE ROBINS(CHANCELLOR PRESS)


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