移転しました。https://www.madisons.jp/murder/text2/voisin.html

 

ルイ・ヴォワザン
Louis Voisin (イギリス)



手前の樽に頭部と手首が


解体現場の地下台所

 1917年11月2日早朝、ロンドンのブルームズベリー地区で仕事を始めた清掃夫が、リージェント・スクエアにある公園の柵の脇に包みが放置されているのを見つけた。それは肉屋の紙袋だった。はて、何だろうと中身を確認するや尻餅をついた。血まみれのシーツに包まれた女性の胴体と手首のない両腕が入っていたからだ。
 この他にも1枚の紙切れが入っていた。へたくそな字で「Blodie Belgium」と書いてある。
 ベルギー人のブロディさん?
 いやいや、おそらく「Bloody Belgium」と書きたかったのだろう。単純な綴りの誤りである。

 シーツに付いていた「HH」というクリーニング屋のマークから、遺体はマンスタースクエア50番地に住むフランス人、エミリエンヌ・ジェラール(32)と推測された。彼女は10月31日から行方不明になっていた。
 その部屋を捜索した警察は「ルイ・ヴォワザン」なる人物が署名した50ポンドの借用書を発見した。また、暖炉の上には男の写真が飾られていたが、その男こそがヴォワザンだった。つまり、2人は愛人関係にあったのだ。

 ルイ・ヴォワザンは精肉業を営んでいた。ここで「おおっ」とどよめきが上がる。遺体が入っていた肉屋の紙袋と符合するばかりか、法医学者の所見「切断面から見て、犯人はいくらか解剖の心得のある者、おそらく精肉業者辺り」と一致する。彼は現在、ベルト・ロシュという別の女性と同棲しており、動機はおそらくそのことに基づく痴情のもつれだ。彼の犯行と見てまず間違いないだろう。

 ところが、ヴォワザンをしょっぴいてはみたものの、取り調べはままならなかった。なにしろ被害者と同じくフランス人の彼は、片言の英語しかしゃべれなかったのだ。そこで業を煮やした取調官は、彼に「Bloody Belgium」と書かせてみた。彼はたどたどしく「Blodie Belgium」と綴った。筆跡も例のものと全く同じだった。

 一方、シャーロット通り101番地にあるヴォワザンの自宅を捜索していた警察は、地下石炭置場のおがくずが詰まった樽の中からエミリエンヌの頭部と手首を発見した。
 頭部が見つかった旨を告げられたヴォワザンは、それでも罪を認めずに、このようにフランス語で供述した。

「私は10月31日の午前11時頃にエミリエンヌの部屋を訪ねました。ドアは締まっていましたが、鍵はかかっていませんでした。中に入ると、床やカーペットが血の海でした。台所のテーブルの上には彼女の頭部と手首が置かれていました。他の部分は見当たりませんでした。
 あまりのことに言葉もありませんでした。私はしばらくの間、為すすべもなく立ち尽くしていました。罠にはめられたと思いました。気がつくと衣服が血まみれでした。このままでは私が疑われる。血を綺麗に拭き取ると、私は彼女の頭部と手首を持ち帰りました」

 到底信じられる供述ではない。かくして死刑を宣告されたヴォワザンは、1918年3月2日に絞首刑に処された。
 一方、愛人のベルト・ロシェも事後従犯として懲役7年に刑に処されたが、獄中で精神を患って1919年5月に狂死。故人の亡霊でも見たのだろうか?

 ところで、ヴォワザンはどうして「Blodie Belgium」などと書いて残したのだろうか?
 おそらく、当時は第一次世界大戦中だったことから、ベルギーのために戦争に巻き込まれたことを怨んだ英国人の犯行に偽装することが目的だったと思われる。しかし、そのことが己れの首を絞めることになるとは、いやはやなんとも、皮肉なはなしである。

(2007年3月25日/岸田裁月) 


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『死体処理法』ブライアン・レーン著(二見書房)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


counter

BACK