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スティーヴン・トラスコット
Steven Truscott (カナダ)



リン・ハーパー


スティーヴン・トラスコット

 オンタリオ州クリントン空軍基地にリン・ハーパー(12)は住んでいた。父親のレスリー・ハーパーはそこに駐留する中尉である。
 1959年6月9日火曜日、リンは午後5時30分頃に帰宅し、夕食を摂った。献立は七面鳥、ポテト、豆、パイ、パイナップルのレイヤーケーキ。いずれも大好物だったが、両親との諍いで食事は台無しになってしまった。
 その日はやたらと暑かった。陽もまだ高い。だから食後は基地のプールに連れて行ってもらおうと彼女は思っていたのだ。ところが両親に拒まれてしまった。基地のプールには保護者が同伴しなければ入れない。両親に憎まれ口を叩き、家を飛び出した彼女は管理人に一人で泳ぐ許可を仰ぐが、やはり聞き入れられなかった。口を尖らせながら戻った彼女は、食器を片づけると、行き先も告げずに再び家を飛び出した。
 そして、二度と戻らなかった。

 彼女は学校のそばの公園に向かった。そこではガールスカウトが集会を開いていた。彼女は借り物競走に参加し、指導員からキャンディを貰った。その時に自転車で通りかかったのがスティーヴン・トラスコット(14)だった。
 先頃催された陸上競技会の優勝者、スティーヴンは学校の人気者である。下級生のリンにとっては「憧れの先輩」だったことだろう。リンの方から彼に近づき、二人はしばし談笑した。
 スティーヴンによれば、彼女にこのように頼まれたという。
「ハイウェイをシーフォースの方に行ったところにポニーを飼っている白い家があるの。そこまで乗せてってよ」
 スティーヴンはリンをサドルの前のクロスバーに乗せると8号線へと向かった。途中、何人もが彼らを目撃している。橋に差し掛かったところで、川で遊んでいる子供たちが二人に向かって手を振った。

 それから5分ほど後、川で遊んでいたゴードン・ローガンは一人で戻って来るスティーヴンを目撃した。彼は橋の上で自転車から降り、しばらく川を眺めていた。その後、フットボール場へと向かい、そこで遊んでいた友達に冷やかされた。
「リンと何してたんだよ? 魚にでも喰わせたんじゃないのか?」
 しばらくすると、兄のケンが彼を呼びにやって来た。
「おい、弟たちの面倒を見る約束だぞ」
 スティーヴンは自転車に飛び乗ると午後8時半に帰宅した。
 その日の日没は午後9時だった。

 日が暮れてもリンは帰って来なかった。心配した両親は近隣を探して回り、午後11時になって警察に届け出た。
 翌朝、レスリー・ハーパーは出勤しようとしているダン・トラスコットに訊ねた。昨夜、お宅の息子さんはうちの娘を見かけなかったかい? それなら直接訊くがよいと息子を呼んだ。スティーヴンは答えた。
「ああ、彼女ならヒッチハイクをすると云うので、ハイウェイまで乗せてってやったよ。橋のところまで戻ってから振り返ると、グレイのシボレーに乗り込むのが見えた。後のことは知らないよ」
 なんてこった! どうして早く云わなかったんだ!
「だって、基地の子はしょっちゅうヒッチハイクしてるんだぜ。別に特別なことじゃないよ」
 少しも悪怯れないスティーヴンを怒鳴り散らしている場合ではない。中尉は警察に駆け込むと緊急捜査を要請した。
 リン・ハーパーの遺体が発見されたのはその翌日のことだった。



運び出されるリン・ハーパーの遺体

 リンの遺体が発見されたのは、空軍基地にほど近い「ローソンの森」と呼ばれる場所だった。手元に遺体の写真がある。状況を説明しよう。
 仰向けで、ブラウスしか身につけていない。その上にはいくつかの枝が遺体を隠すように置かれている。左側には剥ぎ取った衣類が確認できる。ブラウス以外の着衣とソックスと靴である。眼の辺りに痣があるようにも見えるが、直接の死因は絞殺だ。云うまでもないが、彼女は強姦されていた。

 さて、問題は死亡時刻である。検視に当たったジョン・ペニスタインは、胃の内容物から6月9日午後7時15分から7時45分の間と推定した。これはスティーヴンが彼女と行動を共にしていた時間である。

 翌日にも事情聴取されたスティーヴンは関与の一切を否定した。そこで警察は医師に身体検査させることにした。この種の事件においては往々にして引っ掻き傷等、被害者が抵抗した痕跡が残されているからだ。結果、ペニスが炎症を起こしていることが判明した。医師がそれを強姦によるものと認めたため、スティーヴン・トラスコットは殺人容疑で逮捕された。6月12日深夜のことである。



逮捕されたスティーヴン・トラスコット

 スティーヴンは14歳だったが、裁判官の裁量により成人として裁かれることとなった。それほど社会的影響の大きい事件だったということだろう。
 拘置所においても未成年であることに配慮した措置は一切取られなかった。独房には寝台と便器代わりのバケツがあるだけで、外の通路の裸電球以外に明かりはなかったというから、今日では想像もつかない劣悪な環境である。
 スティーヴンは14歳の少年らしく、車やスポーツの話を看守として過ごした。その精神状態を診断した医師も「14歳の少年として完全に正常だった」と述べている。スティーヴンは何処にでもいるような、ごく普通の少年だったのだ。だからこそ余計に衝撃的だったのである。

 裁判における最大の争点は死亡時刻だった。検察側は食後2時間以内としたのに対して、弁護側は3〜4時間経っていた可能性もあることを指摘した。
 胃の消化能力には個人差がある。ギャル曽根ならばすぐに消化するのだろうが、私のように胃腸の弱い者は胸焼けに苦しむこともある。だから弁護側の主張が正しいのだろう。しかし、検察側は事件とは無関係とも思える被告に不利な証拠を並べることでこの点を誤摩化してしまった。

 致命的だったのはジョスリン・ゴーデットの証言だった。彼女はスティーヴンの同級生である。
「事件があった6月9日、私はスティーヴンとローソンさんの農場に生まれたばかりの子牛を見に行く約束をしていました。彼は何度も念を押し、家族や友達には黙っているように云いました。
 彼は夕方の6時10分前に迎えに来ましたが、私はまだ食事を済ませていなかったので、先に行っているように云いました。30分後に自転車でローソンさんの農場に向かいましたが、彼の姿はありませんでした」
 この証言は「スティーヴンは彼女を襲う目的で密会の約束をしていた」との印象を陪審員に与えた。約束の場所が遺体発見現場付近だったのも痛かった。

 ペニスの炎症と汚れたパンツも彼の足を引っ張った。
 チンポコがズル剥けていたからといって必ずしも強姦が原因とは限らない。当のスティーヴンは「炎症は1ケ月ほど前からあり、何が原因かは判らない」と釈明したが、判っていても恥ずかしくて云える筈がない。鉄棒に擦り付けていたからかも知れないし、マッサージ器に押し付けていたからかも知れないのだから。とにかく、思春期のチンポコは炎症だらけだと思ってよろしい。にも拘らず、強姦の証拠とすることは偏見と云わざるを得ない。
 パンツに関しては更に酷い。それは6月13日に拘置所の中で押収したもので、精液が付着していたことから強姦の証拠とされたのだが、だとすれば彼は4日もパンツを取り替えていないことになる。この暑い時期にそれはないのではないか?



控訴審に臨むスティーヴン・トラスコット

 彼の犯行に否定的な証拠も山ほどあった。
 まず、犯行に要した時間である。ゴードン・ローガンの証言に基づけば、スティーヴンにはたったの5分しか与えられていなかった。その僅かな時間に犯行現場まで行き、リンを犯し、首を締めて殺害し、とんぼ返りで戻って来て何喰わぬ顔をすることなど果たして可能だろうか?
 また、遺体発見現場が犯行現場だとすることにも疑問がある。それは農道のすぐ脇で、誰かが通れば見つかってしまうような場所だったからだ。
 更に、遺体の上に置かれていた枝の1つは2mもの高さのところから折られたものだった。小柄なスティーヴンにそれが出来ただろうか?

 以上を前提に推理すれば、犯人は「グレイのシボレー」の運転手で、おそらく車中で殺害し、遺体発見現場に遺棄したとするのが最も合理的であるように思える。しかし、陪審員はジョスリン・ゴーデットの証言や汚れたパンツに惑わされて、合理的に考えることは出来なかった。かくして全員一致で有罪を評決、スティーヴンには死刑判決が下されたのだった。14歳の被告に死刑判決が下されるのは、カナダでは実に84年ぶりのことだった。

 時の首相の計らいにより終身刑に減刑されたものの、控訴審でも有罪は覆らなかった。模範囚として1969年10月に仮釈放されてからも一貫して無罪を主張し続け、2000年にテレビ出演したことでようやく再審への道が開けた。無罪を勝ち取ったのは2007年8月28日。ついこの間のことである。

 では、いったい誰がリン・ハーパーを殺めたのか?
 この点、事件当時、クリントン空軍基地に勤務していた或る士官が真犯人として有力視されている。彼には性犯罪の前科があった。事件の3週間前にも10歳の少女を勾引そうとした容疑で逮捕されている(但し、証拠不十分のために不起訴)。
 軍がこの男に手を焼いていたことは間違いない。事件後、彼が不安と罪悪感に苛まれていたとの軍医の診断報告も残っている。しかし、彼の車は「グレイのシボレー」ではなく「黄色のポンティアック」だった。
 やはり真相は闇の中である。

(2008年10月7日/岸田裁月) 


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
週刊マーダー・ケースブック69(ディアゴスティーニ)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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