左からフレディ、パーシー、イーディス |
このトライアングルに亀裂が生じたのは翌8月のことだった。亭主の前であからさまに若僧とじゃれつくイーディスにパーシーがキレたのだ。
どんがらがしゃあん。
家の中から物凄い音がした。庭にいたフレディが駆けつけると、イーディスが床に倒れていた。パーシーに投げ飛ばされたようだ。2人は口汚く罵り合っていた。まあまあと仲裁に入るフレディだったが、原因は己れじゃあと凄まれてスゴスゴと自室に退散。しばらくして、眼を真っ赤に腫らせたイーディスが彼の部屋に入ってきた。この時、2人は初めてくちづけを交わす。フレディは間もなく家を出て母親のもとに身を寄せるが、イーディスとは密会を重ねた。ある時は公園で。またある時は喫茶店で。そして9月9日、2人は初めて結ばれる。場所は路地裏の安ホテルだった。
やがてフレディは航海に出るが、その間も2人は情熱的な手紙を交わした。手紙の中でイーディスはフレディのことを「darlint(darilingest=最愛の人の略)」と呼び、このように書き綴っていた。
「判っているわ。あなたが彼を嫉妬していることを。でも、私はそうしていて欲しいの。あなたが自然の摂理と愛によって勝ち取ったすべてのものは、法律的には彼のものなのよ。そうよ、あなた。嫉妬してちょうだい。そして、なにか思い切った行動を取ってちょうだい」
(Yes, darlint, you are jealous of him. But I want you to be. He has the right by law to all that you have the right to by nature and love and yes, darlint, be jealous, so much so that you will do something desperate.)
「彼の食事に電球のかけらを混ぜたけど、3度目に見つかってしまったわ。だから諦めたの。あなたが帰って来るまでは」
(I used the light bulb three times, but the third time he found a piece, so I've given up until you come home.)
手紙には国内で発生した様々な殺人事件の切り抜きが同封されていた。「参考にしてね」とでも云わんばかりに。パーシーの遺体からは如何なる毒物も電球のかけらも発見されなかったにもかかわらずイーディスが共犯者として起訴されたのは、こうした言動がゆえである。おそらくは恋人の心を繋ぎ止めておくための嘘八百が、まだ20歳のうぶな若者を凶行に走らせたと判断されたのだ。
「あの人、どうしてあんなことしたの?。頼んだわけでもないのに…」
たしかに頼んだわけではない。しかし、仄めかしてはいた。そのことで断罪されたわけだが、死刑とはいくらなんでも重過ぎる。当時も今も、イーディスは殺人よりも姦通の罪で裁かれたと見る向きが多い。事実、担当のシアマン判事は陪審員にこのように説示している。
「被告は品性下劣な卑しむべき罪で裁かれていることを忘れないように」
1923年1月9日午前9時、2人は別の場所で同時刻に処刑された。
フレディは男らしく、最後の最後までイーディスは無関係であることを訴え続けた。
かたや、イーディスは最後の最後まで自らの関与を否定し続けた。
「私はなんにもしていない!」
ヒステリックに暴れる彼女を処刑場まで連れて行くためにはモルヒネやストリキニーネ等の薬物を投与しなければならなかった。
落とし戸がガタンと開いて、ぶら下がった彼女の脚の間から大量の血が滴り落ちたと伝えられている。そのために「はらわたがこぼれ落ちた」との噂が流れたが、妊娠していたのではないかとの説もある。そうだとして、それはどちらの子だったのだろうか? パーシーか? それともフレディか? いずれにしても、死の三角関係はかくして最悪の結末を迎えたのだった。
(2007年5月21日/岸田裁月)
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