1913年6月20日午前11時、ブレーメンのセント・マリア・カトリック・スクールでの出来事である。教師のマリー・ポールは廊下を歩く不審な男を見咎めた。御用は何ですかと訊ねると、男は間髪入れずに銃を発砲。弾は彼女の頭を掠めた。
やがて教室に闖入した男は、女子生徒に向けて次々と発砲。年の頃は6、7の少女たちはパニックに陥った。この銃撃により15人が被弾、うち4人が死亡した。
男は銃をいくつも所持していたようだ。教室から逃げる生徒たちを追って尚も銃撃し続けた。修羅場とはまさにこのことだ。気が狂ったガンマンに追われて、生徒の1人が階段から転げ落ち、首の骨を折って死亡した。
生徒たちの足は思いのほか速かった。生きるか死ぬかなのだから当り前だ。男は追うのを諦めて、別の教室を襲うことにした。ところが扉が開かない。騒ぎを聞きつけた教師が施錠してしまったのだ。ノブをガチャガチャやっているところを、用務員が背後から掴み掛かる。男はこれを殴り倒すと、邪魔するんじゃねえよとばかりに腹に1発お見舞いする。そして、窓から顔を出すと、校庭を逃げ惑う生徒たちに向けて発砲し始めた。これにより5人の男子生徒と作業中の屋根職人が負傷。制止しようとした教師もまた重傷を負った。
警備員を銃撃した後、校門を出たところで男は群衆に捕らえられてボコボコにされた。警察が止めに入らなければ殺されていたことだろう。
男の名はハインツ・シュミット(30)。失業中の教師だった。
彼はイエズス会を激しく憎悪していた。しかし、だからといって子供たちを殺めていいわけはない。精神異常と診断されて、癲狂院送りとなった。
おそらく本件は記録に残っている最初の学校襲撃事件である。
(2009年1月30日/岸田裁月) |