1928年4月20日午後7時過ぎ、カンザス州フローレンス近郊のオバースト家の農家から火の手が上がった。焼け跡からはウィリアム・オバーストとその妻、そして6歳から16歳までの5人の子供の遺体が発見された。
隣人たちが尚も燻り続ける焼け跡を見守る中、長男のオーウェン(17)が車で帰宅した。彼が語ったところによれば、その晩は午後6時前に家を出て、車でフローレンスに向かった。その時、家族はみなキッチンに座っていた。まさにそのキッチンで一家は黒焦げになっていた。
保安官は不審に思った。火の手が上がったというのに、どうして一家は逃げなかったのか? 既に死んでいたのではなかろうか? 焼け跡を丹念に捜索すると、ストーブの中から22口径の自動拳銃が、キッチンからはライフルの残骸が発見された。
また、目撃者の証言によれば、オーウェンが家を出たのは午後7時を回っていた。つまり、彼は出火の直前まで家にいたのである。更に、街で彼の姿が目撃されたのは午後8時以降だった。
以上の事実を突きつけられたオーウェンは、渋々ながらも罪を認めた。
「親父が憎かったんだ。あの日、車を貸してくれと頼んだら、にべもなく断りやがった。だからカッとなって撃ち殺したんだ。それからキッチンにいる家族に向かって発砲した。何度も何度も、眼をつぶりながらね。そして、親父を台所まで引きずって、火を放ったんだ」
法廷では一転して無罪を主張したオーウェンだったが、有罪となり、終身刑を云い渡された。それにしても、車に乗れないぐらいで家族を皆殺しにするとは、なんともはや気の短いお子様である。
(2009年1月26日/岸田裁月) |