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オーガスタ・ナック
マーティン・ソーン

Augusta Nack & Martin Thorn  (アメリカ)


 

 1897年6月26日、ニューヨークのイースト川河口付近で泳いでいた2人の少年が、赤い薔薇の模様の油紙で包まれた男性の上半身を発見した。頭部はない。切断面は外科医のように鮮やかだ。どういうわけか左胸の皮膚の一部が切り取られていた。
 翌日には腰の部分が176番街近くの森で、脚がブルックリンの海岸で発見された。しかし、頭部だけは見つからず、身元は杳として知れなかった。

 新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハースト傘下の『ニューヨーク・ジャーナル』紙記者ジョージ・アーノルドはいつものコネで遺体を自ら検分、指にマッサージ師特有のタコがあることに気づいた。馴染みのトルコ風呂に問い合わせると、ウィリー・グルデンズッペというマッサージ師がここのところ欠勤しているという。
「その男に何か特徴はあるかい?」
「そうだな。左胸に女の顔の刺青を入れてたよ」
 それだ! だからそれを切り取ったんだ!
 大スクープだった。調子づいた『ジャーナル』紙は、特徴ある油紙のカラー写真を掲載して情報を求め、遂に売った店を突き止めた。警察よりもよっぽど優秀である。店主曰く、その客はまるでオペラ歌手のような体格だが、なかなか魅力的な中年女性だった。記者はピンときた。グルデンズッペの下宿屋の女将、オーガスタ・ナックがまさにそんな容姿だったのだ。
『ジャーナル』紙の記者たちは9番街の下宿屋に大集合。ライバルの『ニューヨーク・ワールド』紙を出し抜くために下宿をすべて借り切って、玄関前には守衛を立たせ、電話回線もすべて切断したというからさすがハースト。手段を選ばない。その上でオーガスタに出頭を求めて逮捕劇の独占報道に成功したのである。

 オーガスタは当初は犯行を否認していたが、ハーストが毎日のように送り込んだ牧師による説得攻撃に遂に降参。『ジャーナル』紙の独占スクープとなった告白はこのようなものだった。
 オーガスタとグルデンズッペは長きに渡って愛人関係にあった。これに水を差したのが同じ下宿に住むマーティン・ソーンという若い理容師である。グルデンズッペがいない時を見計らって2人はあんあんああんと床運動に励んでいたが、やがて現場を押さえられてしまう。グルデンズッペはマッサージ師だから腕力がある。ソーンはボコボコにされて下宿から叩き出された。眼のまわりに痣を作り、まるでパンダのような形相で出勤したために床屋もクビになっちまう。復讐を決意したソーンは拳銃を買い求めた。
 犯行は2人で借りたロングアイランドの農家で行われた。オーガスタがグルデンズッペを誘き出し、隠れていたソーンが後頭部を撃ったのだ。2人は遺体を浴槽に入れ、ソーンが鋸でバラバラにした。ソーンはかつて医学生だったので解剖はお手のものだったのだ。その間、血は排水溝を伝わって裏の水溜まりへと流れた。その日、羽根が真っ赤に染まった家鴨が近所で目撃されている。頭部が見つからなかったのは石膏で固めて港に投げ込んだからだ。

 これに対してソーンは、グルデンズッペを殺したのはオーガスタだと主張した。件の農家に足を運ぶと、グルデンズッペは既に死んでいたというのだ。しかし、この主張は認められず、マーティン・ソーンは死刑を宣告された。
 一方、取引に応じて積極的に証言したオーガスタは20年の刑に留まり、模範囚として10年後に仮釈放された。9番街に戻ってデリカテッセンを開いたが、事件を知る者は寄りつく筈がない。すぐに閉店ガラガラ。その後の行方は判らない。

(2007年1月11日/岸田裁月) 


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『情熱の殺人』コリン・ウィルソン(青弓社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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