移転しました。https://www.madisons.jp/murder/text2/luard.html

 

ルアード事件
The Luard Case (イギリス)



遺体発見の再現図

 1908年8月24日、元陸軍少将チャールズ・ルアード(70)の妻キャロライン(58)の射殺死体が、ケント州アイタムの自宅近くにあるサマー・ハウス(避暑用の別宅)で発見された。
 夫妻はその日の午後2時30分に家を出た。5kmほど離れたゴルフ場にクラブを取りに出掛けたのである。夫人は途中まで一緒に歩いてから、サマー・ハウスに行くと云って別れた。
 ゴルフ場まではルアード少将の足で1時間かかる。往復して帰宅したのが午後4時30分。夫人はまだ帰っていなかった。やがて友人のスチュアート夫人が訪ねて来た。彼女をもてなした後も夫人は帰って来ない。不審に思った少将が森の中のサマー・ハウスに出向くと、ベランダでうつ伏せに倒れている夫人を発見した。頭を鈍器で殴られた上、銃弾を2発撃ち込まれている。財布や指輪が奪われていることから物盗りの犯行と思われた。

 やがて聞き込みにより犯行時刻が確定した。サマー・ハウス近くの住人数名が午後3時15分に銃声を耳にしていたのだ。このことはルアード少将にはアリバイがあることを意味している。彼は午後3時30分にはゴルフ場で目撃されている。サマー・ハウスからゴルフ場まで15分で移動することは70歳の老人には不可能である。
 にも拘わらず、地元では少将による犯行が噂された。これを苦にした少将は鉄道に身を投げた。親友のワード大佐宛にこのような遺書が残されていた。

「私は愛しい人のもとへ行く。さようなら。何かが音を立てて壊れた」

 結局、犯人は判らず終いだが、当時はホップの収穫期だったことから、イーストエンドから出稼ぎに来た素行の悪い何百人のうちの誰かの仕業だろうとの説が一般的である。しかし、それにしても幅があり過ぎる説である。

 この点、コリン・ウィルソンはこのような興味深い話を紹介している。
 氏がしばしば参考にする『英国の有名な裁判』の編纂者の一人、S・ローワン・ハミルトン卿はジョン・デックマンという殺人者の裁判記録を調べるうちに、彼こそがルアード事件の犯人だと確信したというのだ。以下は彼が或る人物に宛てた手紙からの抜粋である。

「この男は生活の援助を求める広告を『タイムズ』紙(だったと思う)に掲載し、これを見たルアード夫人が送った小切手を偽造していたのである。ルアード夫人はこれに気づき、この男に手紙を書き、別宅の外でこの男に会った。夫人の遺体はここで発見されている。デックマンは殺人が行われた日の前後の数日間、行方が明らかではなかった。私はその小切手の写しを見たことがある」

 ちなみに、ジョン・デックマンは1910年にニューキャッスルの汽車の中で乗客を殺害し、金を奪った件で有罪となり、絞首刑になっている。真相は不明だが、彼の犯行だとしたら天の裁きは下ったことになる。

(2007年1月19日/岸田裁月) 


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『殺人の迷宮』コリン・ウィルソン著(青弓社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


counter

BACK