1962年4月、ルイジアナ州ナキトシュ在住のルイス・ルモワーヌが行方知れずとなった。妻のアディー・メイによれば、夫は4月23日に鹿狩りに出掛けて以来、それっきりだという。しかし、彼は兄弟に行き先も告げずに出掛けるような男ではない。妻に疑惑の眼が向けられ始めた。
やがて保安官も捜査に乗り出した。勤勉で知られるあの男が、請け負った仕事を放ったらかして遊び歩いているとは思えないからだ。彼の車のトランクには猟銃の弾薬が一箱積み込まれたままだった。弾を持たずに狩りに出掛ける者はいない。妻の嫌疑は増すばかりだ。
すると、妻のアディーは保安官事務所に出向き、一通の手紙を差し出した。それはバトンルージュ在住の叔母から息子たちに宛てたものだった。曰く、
「ルイスはしばらく滞在し、数日前に出て行った。息子たちに愛しているよと伝えて欲しいと云い残して」
この手紙が命取りとなった。筆跡がアディーのものと同じだったのだ。つまり彼女はルイスの生存を裏付けるために手紙を偽造し、わざわざバートンルージュにまで出向いて投函したのである。
更に、アディーが近所の雑貨屋で銃の弾を2つだけ購入していることが判明した。店主曰く、
「弾を2つだけ買う人なんかいないんでね、よく憶えていますよ」
外堀は埋まった。保安官が家宅捜索に踏み切ると、洗濯場の床下からルイスの遺体が発見された。
さて、動機はいったい何だったのか?
調べるにつれて、事件の背景にある男と女の不条理なドラマが明らかとなった。
ルイス・ルモワーヌとアディーが結婚したのは20年前に遡る。ルイス23歳、アディー15歳の時だった。ルイスは逞しく、寡黙な男で、世間知らずのアディーには魅力的だったことだろう。7人も子供をもうけたことからも、ふたりが如何に愛し合っていたかが窺える。
ところが、10年も過ぎた頃、アディーは結婚生活に不満を抱き始める。会話がまったくない夫婦だったのだ。ルイスが口にする言葉といえば、
「メシ」
「風呂」
「寝る」
友達とも言葉を交わすことは殆どなく、むしろ一人森の中で過ごすことを好んだというから、これは相当な変人だ。7人もの育児に追われてノイローゼ気味のアディーが嫌気がさすのは無理もない。彼女はまだ十分に若かった。まだまだ遊び足りない気持ちでいっぱいだ。なのにこれでは「囹圄の人」も同じではないか!
アディーが離婚を切り出したのは13年目のことである。寡黙なルイスは、
「あっそう」
と、いとも簡単に受け入れた。そもそも家庭を持つことに執着するような男ではない。黙々と働き、週末は狩りに出掛けられればそれでいいのだ。
さて、独り身の生活はアディーに薔薇色の人生を齎したかというと、そうでもなかった。そもそも7人もの子がいるので完全なる「独り身」ではないし、生活していくだけで精一杯だ。否。それさえも窮していたことだろう。ガキどもは、
「お父ちゃんに会いた〜い」
などと泣きじゃくる。最悪だ。前の方がマシだった。アディーはルイスに頭を下げて復縁を願い出る。
「あっそう」
ってなもんで、ルイスはあっさりと受け入れる。しかし、復縁後は以前にも増して不満が募るばかりだった。
「彼を見れば見るほど、憎らしく感じました」
アディーは供述する。弾を2つ買ったのは、ルイスを殺した後、自分も死ぬつもりだったのだと。
「でも、自殺する勇気はありませんでした」
1962年4月22日夜、彼女は子供たちを寝かしつけると、熟睡するルイスのこめかみ目掛けて引き金を引いた。遺体はシーツに包んで洗濯場に隠し、翌朝に子供たちを学校に送り出した後、床下に埋めたのである。
かくして終身刑を云い渡されたアディーは本物の「囹圄の人」となったわけだが、それは以前の生活よりもマシだったのかも知れない。少なくとも、夫や子供たちからは解放されたのだから。
(2008年10月19日/岸田裁月) |