今回は「婦人及び小児の労働」の悲しい物語である。
エスター・ヒブナーというおばはんはロンドンのキャムデンタウンで、救貧院から連れて来た孤児の少女たちをこき使って刺繍業を営んでいた。
1829年1月、少女の1人であるフランシス・コルピットの祖母が孫を訪ねて出向いたところ、
「フランシスは悪いことをしたので、罰として会わせられない」
この一言で断られた。頭にきた祖母は「おかしいんじゃないですか?」と役所に訴え、その立ち入り調査により事態は予想以上に深刻であることが判明した。
6人の少女たちはいずれも痩せ細り、ボロを着せられて、極めて不潔な部屋に押し込められていた。特にフランシスは瀕死の重病で、肺に腫瘍が出来ていた。以下が彼女たちの食事のメニューである。
朝食は、6人の少女に対して4分の1パイント(約140cc)の牛乳とパン一切れずつ。
6人の少女に対して1週間に9ポンド(約4kg)のジャガイモ。
隔週の日曜日に肉一切れ。
たったこれだけの食事で、彼女たちは毎日午前3時30分から午後11時まで働かされ、居眠りをすると鞭で打たれた。労働から解放されるのはたった30分だけで、夜は床に毛布を1枚敷いただけのところに寄り添って、4時間だけの睡眠を許されていた。
ただちに救貧院に連れ戻された少女たちには食事が与えられたが、フランシスは助からなかった。
逮捕されたエスターとその娘(名前は母親と同じエスター)、作業主任のアン・ロビンソンの供述により、死亡したフランシス・コルピットは折檻されていたことが判明した。娘の方のエスターが彼女の踵をつかみ、水の入った桶に沈めたのだ。その際にアン・ロビンソンはこのように叫んだ。
「いまいましい娘だね! もう一度沈めて息の根を止めておしまい!」
当時の婦人及び小児の労働の劣悪さは知られているが、これほど劣悪なものは他に類を見ない。エスター・ヒブナーは絞首刑に処され、他の2人も流刑となった。
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