ペンシルバニア州ロックヘブン近郊の小さな町、ロガントンに暮らすレオ・ヘルドは模範的な市民だった。4人の子供の父親である39歳のこの男は、過去21年に渡って大手製紙会社「ハマーミル・ペーパー」に研究員として勤めてきた。ボーイスカウトのリーダーや教育委員を務め、教会にも熱心に通い、ボランティアの消防士としても地域に貢献していた。
そんな彼が殺人者に変貌したのは1967年10月24日のことである。午前8時に出勤した彼の手には、44口径のマグナムと38口径のリボルバーが握られていた。躊躇することなく3人の上司と2人の同僚を射殺すると、足早にロックヘブン空港へと向かった。空港では隣人のジェラルディン・ラムがオペレーターとして勤務していた。ヘルドは彼女に4発の銃弾を浴びせて重傷を負わせた後、自宅があるロガントンに舞い戻る。そして、フロイド・クイッグルの家に押し入り、寝室で眠る主人を射殺。奥方にも重傷を負わせた。
ヘルドは自宅に籠城し、取り囲む警官隊に銃撃した。
「捕まえられるもんなら捕まえてみろ!」
しかし、彼も銃撃されて崩れ落ちた。そして、運ばれた病院で死亡。いったい何だったんだよ、この狼藉は? 誰もが首を捻るばかりである。
身辺を捜索した警察は、ヘルド自身の筆による「敵」のリストを発見した。そこには彼が昇進を妬んでいた同僚や、不愉快に思っていた上司の名前が書き連ねてあった。もちろん、フロイド・クイッグルやジェラルディン・ラムの名前もあった。クイッグルはいつも家の前で焚き火をする。これがヘルドには我慢ならなかったようだ。また、ジェラルディンからは「運転が乱暴」と指摘されたことがあった。この一言がゆえに「敵」のリストにその名が加えられたのだ。
犯行の前には「自宅の電話が盗聴されている」などと不平を洩らしていたという。典型的な偏執狂だ。息を引き取る前の最後の言葉が、彼の憤怒の凄まじさを物語っている。
「もう一人、殺らなきゃならない奴がいたんだ」
(2008年12月12日/岸田裁月)
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