1963年12月20日、ここはアーカンソー州ポインセット郡。或る農夫がクリスマスの準備をしていると、窓の外の景色がオレンジ色に変わった。なんだなんだ? 覗いてみると、隣家から火の手が上がっているではないか! 驚くや否や、勝手口から隣の子供たちが飛び込んで来た。
「おうちが焼けた! パパとママも焼けた!」
ロナルド(9)とメアリー(6)だった。
「悪い人に殺された! みんな死んじゃった!」
2人とも衣服は焼け焦げ、酷い火傷を負っていた。
現場に急行した保安官は、焼け跡からレオナルド・デヴァーとその妻、そして8歳から1歳までの4人の子供たちの遺体を見つけた。夫妻は共に銃で撃たれていた。
生き残った2人の子供によれば、事のあらましは以下の通り。
「1階で物音がするので降りてみると、見知らぬ男がパパを銃で脅していたんだ。パパも戸棚から銃を出そうとしたけど撃たれてしまった。ママも財布を渡すと撃たれた。男は灯油を部屋にまくと火をつけた。僕たちはあわてて外に逃げようとしたけど、男に捕まって、火の中に放り込まれてしまった。だから夢中で裏口から逃げ出したんだ」
付近一帯を捜索した警察は、現場からほど近い場所で堀にはまった車を見つけた。中には灯油缶があるその車は、ごく近所に住むフランク・ハリスの所有物だった。
ハリスの家を捜索した警察は、ゴミ箱の中から焼け焦げた衣服を、財布からはデヴァー氏の証書を見つけ出した。その手からは硝煙反応が確認された。そして、子供たちも揃ってハリスを指差した。このおじさんに間違いないと。
かくしてお縄となったハリスは終身刑を云い渡されたわけだが、その動機については当人がダンマリを決め込んでいるために詳らかではない。家族を皆殺しにする必要があったのか否かは謎である。
(2008年10月24日/岸田裁月)
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