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オーガスタ・フラム
ヘンリー・クラーク

Augusta Fulham & Henry Clark (インド


 

 マーティン・デニーが好きでよく聴く。あの異国情緒には堪らない魅力がある。例えば『香港ブルース』あたりを聴きながら黄昏れ時の神戸中華街を一人彷徨い歩くと、身も心も古き良き香港に連れて行かれて気持ちいいことこの上ない。眼の前にチャイナドレスのべっぴんさんが現われれば、たとえヤバいと判っていても、そのまま身を委ねてしまうことだろう。
 異国情緒を満喫すると、人は冒険したくなる。

 オーガスタ・フラム(35)もそうだったのだろう。陸軍の会計監査官である夫のエドワードに連れられて英領インドの駐留地アグラに渡った彼女は、ダンスホールで知り合った色の浅黒いエキゾティックな紳士に恋してしまったのである。その紳士とは、軍医のヘンリー・クラーク(42)である。

 一夜限りのアヴァンチュールで終れば問題はなかった。しかし、2人はその後も文通を交わし、逢瀬を楽しみ、一時たりとも離れたくない、離れられない関係へと陥ってしまった。
 こうなったのは異国情緒の相乗効果ゆえである。ヘンリーもまた、4人の子持ちであるにも拘わらず、英国女性の優雅さにかねてから憧れを抱いていたのだ。
 そして、2人の冒険が始まった。互いの配偶者の抹殺を企てたのである。

 まずはエドワード・フラムの殺害に着手した。日射しの強いインドでは日射病で倒れる者が多い。そこでオーガスタは、日射病に似た作用を起こす毒の投与を提案した。要するにめまいと吐き気が起こればよいのだろう。ヘンリーは毒殺犯の常備薬、砒素を彼女に送りつけた。
 オーガスタは毎日のようにスープに砒素を盛り続けたが、なかなか効果は現れなかった。量が少なかったようだ。毒殺はここら辺のさじ加減が難しい。多すぎれば怪しまれるし、少なすぎれば効き目がない。それでもやがてエドワードはふらふらし出し、日射病かなとクラーク軍医のもとに訪れる。飛んで火に入る夏の虫。これで体力つきますよとゲルセミンを注射。たちどころに容態は悪化し、そのまま息を引き取る。1911年10月のことである。死亡診断書はヘンリーにより作成されたので、その死を疑う者は誰もいなかった。

 さて、お次はヘンリーの妻、メアリー・クラークの番だが、毒殺が思いのほか時間がかかったので、2人は先を急ぎ過ぎてしまった。ごろつき4人を100ルピーで雇って斬り殺させたのである。
 捜査は当然にヘンリーにも及ぶ。ところが、ヘンリーは愚かにも、妻が殺された11月17日の晩に、オーガスタと食事をしていたことを正直に明かしてしまったのだ。
 ばっかだなあ。
 直前にオーガスタの夫が急死していることを訝しんだ警察は、彼女の家を捜索した。すると、出てくるわ出てくるわ、ヘンリーからのラブレターが400通。書きやがったなあ、この色男が。
 手紙の中には「例の粉を送ります」との記述がある。毒薬か? 早速、エドワードの遺体を掘り起こして検視に回すと、案の定、砒素が検出された。

 かくしてヘンリー・クラークは、エドワード・フラムとメアリー・クラーク殺害の容疑で有罪となり、1913年3月26日に処刑された。
  かたやオーガスタ・フラムはヘンリーの子を懐妊していたために、死刑は免れて終身刑になった。子供は無事に生まれたが、産後の肥立ちが悪かったのだろうか。1914年5月、皮肉にも日射病で死亡した。

(2007年2月21日/岸田裁月) 


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)
『LADY KILLERS』JOYCE ROBINS(CHANCELLOR PRESS)


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