31歳のシドニー・フォックスは典型的な小悪党だ。ゲイであるにも拘らずジゴロを気取り、貴族だの空軍士官だのと偽っては有閑マダムから小金をちょろまかしていた。63歳の母親と共に高級ホテルを転々とする落ち着きのない毎日である。ホテルへの支払いはもちろん不渡り小切手だ。
1929年4月、彼は母親に3000ポンドの生命保険を掛けた。そして、半年後の10月、すなわち2度目の掛け金の支払い期日の直前に、2人はケント州の保養地マーゲートにあるメトロポール・ホテルに移り住む。事件はここで起きた。
10月23日午後11時40分、男の叫び声がフロアに響き渡った。
「火事だあ!」
シドニー・フォックスだった。駆けつけた従業員がフォックスの部屋の扉を開けると、煙が充満する部屋の真ん中で、肘掛け椅子に座るフォックス夫人が半ば黒焦げになっていた。他はほとんど燃えていない。あたかも人体自然発火現象の如きである。
死因は窒息であるにも拘らず、血液からは一酸化炭素が検出されない。このことはすなわち、火災が起こる前に彼女が死んでいたことを意味する。
また、火元は肘掛け椅子のすぐ下のガソリンを染み込ませた新聞紙だった。
母親を助けずに、わざわざ扉を閉めて逃げ出した息子の行動も理解に苦しむものである。
故にシドニー・フォックスが母親を絞めたことは間違いない。観念した小悪党は、控訴することなく絞首刑に処された。
(2007年10月8日/岸田裁月) |