1960年8月6日のサタデー・モーニング、オクラホマ・シティの警察は然る御婦人からの通報を受けた。なんでも親友が電話に出ないし、呼び鈴を押しても返事がないというのだ。いつもならば放っておくところだが、その日は暇だったので数名の巡査が現地に出向いた。そして、4つの遺体に出くわして吃驚仰天した次第である。
ヴァージー・アルバートと娘のパトリシア・デアは寝室で横たわっていた。2人とも首を絞められており、娘は頭を叩き割られていた。
夫のエドワード・アルバートと孫のウィリアム・マコーマックは客室で横たわっていた。頭を銃で撃たれており、ウィリアムの首にはコードが巻きつけられていた。
遺体はいずれもベッドカバーで覆われていた。
遺体がある部屋は整然としているのに対して、居間は荒れ放題だった。このことはつまり、犯行はすべて居間で行われ、死後にそれぞれの部屋に運ばれたことを意味する。隅には22口径のライフルが立てかけられている。これが凶器であることは間違いない。
いずれの遺体からも財布が抜き取られていた。強盗の仕業かに思えるが、注意しなければならないのは、押し入った形跡がないことだ。つまり、犯人は被害者の顔見知りである可能性が高いのだ。強盗を偽装したことも考えられる。
検視の結果も強盗を否定するものだった。4人の死亡時刻が異なるのだ。まず殺されたのがパトリシアで、その4時間後に母のヴァージー。そのまた4時間後に残りの2人。実に8時間もの幅がある。物盗りとは到底思えない。
一家の身辺を洗った警察は、パトリシアが離婚協議中であることを突き止める。尋問された夫のリチャード・デアは以下のように弁明した。
「8月5日に妻に会いに行くつもりでした。もちろん、考え直すように説得するためです。でも、諦めました。電話の様子では説得できそうになかったからです。そこでアードモアに住む友達に相談しに行きました。家を出たのは8月5日の午後5時過ぎでした」
アードモアまでは100マイルもある。これが事実ならば、彼にはアリバイがあることになる。
また、彼はこのようにも語った。
「妻には強盗の前科を持つ愛人がいました。彼女には注意を促していたのですが、まさかこんなことになるなんて…」
さもその男が犯人であるかの如き云い分である。しかし、その男には確固たるアリバイがあった。リチャードの嫌疑は増すばかりである。当日の足取りを洗うと、アードモアに着いたのは深夜であることが判明した。また、当の友人宅から有力な証拠が押収された。それはリチャードが捨ててくれと頼んでいた血まみれのシャツだった。
証拠を突きつけられたリチャードはすべてを自供した。
「妻は妊娠していることを告げ、私に養育する義務があると脅迫して来たんです。カッとなった私は妻を殴りました。そして、気がついたら首を絞めていたんです。
途方に暮れていると義理の母が帰って来ました。私は正直に事の顛末を打ち明けました。彼女は半狂乱になって暴れました。気がついたら彼女の首を絞めていました。
こうなったら皆殺ししかないと思いました。義理の父が帰って来るのを待って射殺しました。甥っ子に関してはアクシデントでした。まさか遊びに来ているとは思わなかったんです。まだ若いのに、可哀想なことをしました」
法廷では精神異常を主張したリチャードだったが、聞き入れてはもらえずに有罪となり、死刑を宣告された。そして、1963年6月1日に電気椅子により処刑された。
(2008年10月4日/岸田裁月)
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