1959年6月27日、アルバータ州ステットラーで21歳の青年、ロバート・クックは逮捕された。父親のIDカードを不正使用して車を購入しようとしたのである。彼には自動車泥棒の前科があった。しかし、このたびは父親に頼まれたのだと主張して譲らない。
翌朝、警察はクックの実家を訪ねたが、呼び鈴をいくら鳴らせども返事はない。その翌朝も然り。仕方ない。令状を取って家宅捜索に踏み切ると、居間の壁に血しぶきを拭き取った跡があるではないか! やがてガレージに掘られた穴の中から7つの遺体が発見されて、吃驚仰天した次第である。
レイモンド・クック(ロバートの実父)
デイジー・クック(レイモンドの後妻)
ジェラルド・クック(9歳・レイモンドとデイジーの子・以下同じ)
パトリック・クック(8歳)
クリストファー・クック(6歳)
キャシー・クック(4歳)
リンダ・クック(3歳)
彼らはいずれも銃で撃たれた上、頭を叩き割られていた。また、主寝室の絨毯の下には血に染まった作業着が隠されていた。それは服役中のロバートに支給されたものだった。
かくしてロバートは7件の殺人で起訴されて有罪となり、死刑を云い渡されたわけだが、バートン・アボットのケースと同じ問題、すなわち「状況証拠だけで死刑にしてもよいのか?」という問題を孕んでいることに留意しなければならない。たしかに、ロバート・クックは限りなく疑わしい。しかし、直接証拠がない以上、黒とは断定出来ないのである。そんな男を死刑にしてよいわけがない。彼の死刑判決は今日でも疑問視されている。
1960年11月14日、ロバート・クックは否認したまま絞首刑に処された。彼はアルバータ州における最後の死刑囚である。
(2008年9月19日/岸田裁月)
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