第二次世界大戦が終わり、ナチスドイツの恐るべき所業の数々が明るみになると、合衆国市民の中にもヒステリックに反応する者が現れた。多くの場合、それはドイツ移民への嫌がらせという形で現れたが、その最もタチの悪い例がこのクラレンス・ベルトゥッチである。
一兵卒として欧州戦線に赴任していたクラレンス・ベルトゥッチは、ドイツの降伏後はユタ州サリナの捕虜収容所に配属された。云うまでもないが、任務はドイツ人捕虜の監視である。
1945年7月8日、ベルトゥッチは夜勤の前に酒場で一杯やりながら、給仕の女にこう告げた。
「今夜、凄いことが起こるぜ」
これは犯行予告と見て間違いない。午前零時の時報に合わせて監視は交替。監視塔に上がったベルトゥッチは眼下のテントを見下ろした。そこでは250人のナチ野郎がのうのうと眠っていやがる。こちとらが夜勤だってのによ。ふざけやがって。機関銃に弾を装填すると、ベルトゥッチはテント目掛けて引き金を引いた。
タタタタタタタタタタタタタタタタ、タタタタタタタタタタタタタタタタ、タタタタタタタタタタタタタタタタ、タタタタタタタタタタタタタタタタ。タタン。タタン。タタタタタタタタタタタタタタタタ。
8人が死亡、20人が負傷。騒ぎを聞きつけた同僚が彼を羽交い締めにした時には、機関銃は既に空になっていた。
軍法会議にかけられたベルトゥッチが語った動機は「ドイツ人が憎かったから」。ドイツ人は皆殺しにするべきだと熱く語るこの男がマトモである筈がない。精神病院に収容されて、1969年11月に死亡した。
(2008年6月22日/岸田裁月) |