ポール・バーン
バーンの遺書
ジーン・ハーロウ |
1932年9月5日、ビヴァリーヒルズの豪邸でMGMの映画監督ポール・バーン(42)が無惨な姿で発見された。彼はつい2ヶ月前の7月2日に、ハリウッドの有名女優ジーン・ハーロウと結婚したばかりだった。
バーンは自宅の浴室で、こめかみを傍らに転がる38口径で撃ち抜かれて、全裸のままで倒れていた。それはジーンが実家を訪問中の出来事だった。
バーンの残した遺書がスキャンダルに拍車をかけた。
「最愛の人へ。私が犯した恐ろしい過ちを償い、忌わしい屈辱を拭うには、残念ながらこの道しかない。愛している。
昨夜のことは、ほんの冗談だったんだ」
(Dearest Dear, Unfortuately this is the only way to make good the frightful wrong I have done you and to wipe out my abject humiliation, I Love you. Paul
You understand that last night was only a comedy)
「昨夜のこと」とは何なのだろうと人々は口々に噂した。その挙げ句に行き着いた結論は、とても猥褻なものだった。
1. 性的不能説
どうやらバーンには性的な問題があり、新婦を満足させることが出来なかった。その雪辱戦がその夜に行われた。バーンは張り形を腰にくくりつけてことに及ぼうとした。ところが、それをジーンに嘲笑されて、恥ずかしさのあまりに自殺した。
この説は巷では定説となっている。しかし、バーンは以前にも数多の女優と浮名を流している。彼が性的不能だったとは到底考えられない。
そこで浮上するのが次の説である。
2. 三角関係説
これは後に確認された事実だが、バーンにはドロシー・ミレットという内縁の妻がいた。彼女は精神を患い、コネチカットの診療所で療養中だった。退院して初めて愛しい人の結婚を知る。カッとなった彼女はバーン邸でひと暴れ。ジーンは泣きながら母のもとへと逃げ出した。一巻の終わりを悟ったバーンはこめかみを撃ち抜く。ドロシーも2日後に、川に身を投げている。
この説はかなり信憑性が高い。しかし、バーンが全裸で死んでいた事を合理的に説明できない。全裸で自殺する者はあまりいないだろう。
そこで浮上するのが次の説である。
3. 殺人説
かつてMGMでプロデューサーをしていたサミュエル・マルクスは、自著の『Deadly Illusions』の中で、バーンは入浴中にドロシー・ミレットに殺害されたのだと主張している。
では、「遺書」は何だったのか?
それは確かにバーンの筆によるものだった。しかし、遺書ではなかった。数週間前に夫婦喧嘩をした翌日に、お詫びのバラの花束に添えた詫び状に過ぎなかったのだ。
それがどうして現場にあったのか? MGMのプロデューサー、アーヴィング・サルバーグがそこに置いたからだ。実はMGM側は警察が通報を受ける前に現場に駆けつけていた。マルクスもその一人だ。そして、サルバーグがいろいろといじくり回しているところを目撃していたのだ。つまり、ドル箱スターを三角関係のスキャンダルから守るために、社長のルイス・B・メイヤーの命令で、バーンを性的不能者に仕立てて、自殺を偽装したのである。
おそらくこれが真相に近いのだろう。
なお、渦中の人ジーン・ハーロウは、事件については一切語ることなく、5年後の1937年6月7日に腎臓疾患のために急逝した。バーンの性的不能を信じてた人々は口々に噂した。曰く、
「嘲笑されたバーンはジーンの腹部を殴打した。それが原因でジーンは腎臓を傷めて寿命を縮めた」
しかし、真相はこうである。ジーンの母親はクリスチャン・サイエンスの信者だった。そして、信仰上の理由から、ジーンも医者にかかることを一切拒否した。
彼女の腎臓を痛めたのはバーンだったのかも知れないが、その死を早めたのは彼女の信仰心だったのだ。
(2007年11月3日/岸田裁月)
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