ちょっと怪談じみた後日談が不気味な事件である。
1900年9月22日深夜、イングランド東部のヤーマスで海岸を散歩していたカップルが女の呻き声を耳にした。その方角を眼を凝らしてよく見ると、一組の男女が浜辺で寝そべっている。
青姦だ。
青姦だわ。
砂が入らないのかな?
砂が入らないのかしら?
砂は入るそうだが、それはともかく、顔を赤らめたカップルはその場を離れた。ところが、それが青姦ではなく殺人だったことが後に判る。翌朝にまさにその場所で、靴紐で首を絞められた女性の遺体が発見されたのである。
遺体は宿屋の女将により「フード夫人」であることが確認された。幼い子供を連れた「フード夫人」が宿屋にチェックインしたのは9月15日のことだ。そして、昨夜遅くに彼女だけが出掛けたまま行方不明になっていたのだ。
やがて彼女の遺留品から「フード夫人」は偽名で、本名はメアリー・ジェーン・ベネット(24)であることが判明した。
妻が殺されたってえのに、夫は何処で何してるんだ?
かくして夫のハーバート・ベネット(22)が容疑者として浮上した。
ハーバート・ベネットとメアリー・ジェーンが結婚したのは3年前のことだが、2人の仲は既に冷えきっていた。原因はハーバートの浮気である。嫁の妊娠中にアリス・メドウズという若い女給に手を出したのだ。今では2人で旅行に出掛けるほどの仲である。8月にはヤーマスで仲睦まじい2人の姿が目撃されている。その時に嫁の殺害を計画したのではなかったか?
ハーバートを有罪に導いたのは1枚の写真だった。死の直前に観光客相手の写真屋が浜辺で撮影したメアリー・ジェーンの写真である。そこには金のネックレスをした彼女が写っていた。宿屋の女将も犯行の当夜、彼女がそれを身につけていたことを証言している。ところが、遺体は身につけておらず、それと同じ物がハーバートの自宅から発見されたのである。おそらく妻を絞殺した後に換金目的で持ち去ったのだろう。これが決定的な証拠となり、ハーバート・ベネットは絞首刑に処された。
さて、ここからが後日談の部分である。
ハーバート・ベネットの処刑は1901年3月21日に執行された。最後の最後まで無実を訴え続けた彼は、落とし戸が開いてぶら下がっても即座には死ななかった。死ぬまでに数分かかったという。ようやくその死が確認されて、処刑終了の合図である黒旗が掲げられた途端にそれは起こった。旗竿がポキリと折れてしまったのである。こんなことはこれまで一度もなかった。ハーバートが無実の証しではないか。人々は口々に噂した。
事件から12年を経た1912年7月12日、ヤーマスの浜辺でドーラ・グレイという若い女性の遺体が発見された。彼女はまさにメアリー・ジェーン・ベネットが殺されたその場所で、靴紐で首を絞められていた。真犯人の仕業なのだろうか? それとも単なる模倣犯か? この件は迷宮入りしたために、真相は依然として謎のままである。
(2007年1月14日/岸田裁月)
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