1952年、或るイタリア人の兄弟がイタリアに遊びに来ていたイタリア系アメリカ人の姉妹とデキてしまった。兄フランク・アルキナは妹ローズ・マクリと、弟ジーン・アルキナは姉メアリー・マクリと婚約し、ささやかな式をイタリアで挙げた。しかし、それだけでは兄弟はアメリカ国籍は得られない。正式に籍を入れなければならない。4人は海を渡り、コロラド州デンバーにある姉妹の実家を訪れた。
「お願いします。結婚を認めて下さい」
一同は姉妹の父親フランク・マクリに頭を下げた。
「デキてしまったものは仕方がない。認めないことはないが、但し、条件がある。ちゃんと教会で式を挙げること」
「ええ、もちろんそのつもりです」
「それだけではないぞ。イタリア人として恥ずかしくない披露宴を催すこと。イタリア人として恥ずかしくない家を持つこと。そして、我が娘にイタリア人として恥ずかしくない生活を保障すること。以上の条件を満たして初めて結婚を認めよう」
うひゃあ。後半が厳しすぎるよ。アメリカ国籍のない兄弟にはほとんど不可能と云ってよい。
「そこをなんとか」
「いいや駄目だ!」
「お願いしますよ、お父さん」
「まだお父さんではない!」
こんな押し問答がダラダラと1年余りも続き、そして運命の日を迎える。
1954年1月24日、遂にキレた兄フランクが頑固親父に掴みかかる。唯一の生存者である嫁のローズは、姉と母親と共にクロゼットに隠れていたために、実際に何が起こったのか詳らかではない。判っていることは、頑固親父がショットガンを持ち出してフランクに対抗しようとしたことのみである。ローズ曰く、
「しばらくして銃声と悲鳴が聞こえました。私たちが怯えていると、クロゼットの扉が開き、銃を手にしたフランクが眼の前に立っていたんです」
フランクはショットガンを構えると、母親とメアリーに目掛けて2発づつ発砲した。ローズだけが脱兎の如く逃げ出したために命拾いしたのである。彼女の通報により警察が急行した時には、父フランクと母エリザベス、弟のフランク・ジュニアは既に事切れていた。姉のメアリーはまだ息をしていたが、まもなく病院で死亡した。
近くの酒場で飲んだくれているところを逮捕されたフランクは、
「最初に手を出したのは親父なんだ。ナイフで斬りつけて来やがったんだよ。それをかわして奪い取ると、今度はショットガンを持ち出しやがった。後のことはもう無我夢中で何も覚えてないのよ」
などと釈明したが、彼が4人を殺害したことは紛れもない事実である。1審では有罪。ところが、2審では一転して無罪となった。責任能力なしと判断されたのである。陪審員曰く、
「正常な人間が閉じ込められた女性に2発も撃ち込むなんてあり得ない」
なんとも奇妙な理屈だが、これが通ったのだから仕方がない。
1958年に「完治した」として癲狂院からリリースされたフランクは、イタリアに強制送還されて、そこで再び起訴された。義父と義弟殺しについては正当防衛が認められたものの、義母と義姉殺しについては有罪となり、6年の懲役刑が下されるも1963年には釈放。アメリカでの拘束期間が斟酌されたようだが、しかし、4人も殺しておいて10年も経たないうちにフリーとは、いやはやなんとも図々しい。
(2008年9月17日/岸田裁月)
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