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ルツィアン・スタニアク |
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コリン・ウィルソンは著書『猟奇連続殺人の系譜』の「ルツィアン・スタニアク」の項の冒頭でこのように述べている。 1964年7月4日、ポーランドの共産党機関紙『プシェグロンド・ポリティッチネ』の編集者宛に匿名の手紙が届いた。それは赤いインクで、まるで蜘蛛が這ったような筆跡で書かれていた。 次の犯行も国民の祝日だった。1965年1月17日、ワルシャワで催された学生パレードでリーダーを務めていたアニタ・カリニアック(16)が帰宅途中に行方不明になったのだ。翌日、警察に赤いインクの手紙が届き、遺体の場所を知らせた。それは彼女の家の向いにある皮革工場の地下室だった。彼女は強姦された後、膣に15cmもの釘を打ち込まれていた。 次の犯行は11月1日の万聖節だった。ワルシャワの西200kmの町、ポズナニでヤンカ・ポビエルスキーが襲われた。犯人は彼女の口にクロロフォルムを浸した布を押しつけて、駅の荷造り所で強姦した後、ドライバーで殺害した。遺体は下半身をズタズタに切り裂かれて、荷箱に詰め込まれていた。 次の犯行は翌1966年5月1日のメーデーだった。ワルシャワ郊外のジョリボシュでマリーシャ・ガラツカ(17)が、飼い猫を探しに出掛けたまま行方不明になった。ほどなく裏の物置き小屋で遺体が発見された。はらわたが抉り出されて、太腿の上に並べられていたというからえげつない。犯人の残虐性はエスカレートしている。 手紙が送りつけられる以前の事件を調査した警察は、同種の事件が他にも14件あることを確認した。いずれもワルシャワから鉄道で行ける場所で起きている。拠点はワルシャワだと見てよいだろう。しかし、犯人を辿る手掛かりを掴むためには、次の犠牲者を待たなければならなかった。 次の犯行はその年のクリスマス・イブだった。クラクフからワルシャワへと向う列車の個室で、女性の遺体が客室乗務員により発見されたのだ。革のミニスカートが引き裂かれ、腹部と太腿を切り裂かれている。乗務員は直ちに警察に通報した。 遺族への聞き込みからは何も判らなかったが、やがて姉妹が美術学校や美術クラブでモデルのアルバイトをしていたことを突き止めた。ここで担当刑事はピンと来る。例の赤いインクは絵の具をテレビン油と水で溶いたものだったからだ。犯人は画家である可能性が高かったのだ。 警察は彼の家に急行したが留守だった。一歩遅かったのだ。この遅れのためにもう一人の犠牲者を出してしまう。ボジェーナ・ラチキエヴィッツ(18)はその夜、駅の宿泊室に連れ込まれ、ウォッカの瓶で殴られて殺害された。割れた瓶にはスタニアクの指紋が残されていた。その翌朝、スタニアクは帰宅したところを逮捕された。 20件の殺人すべてを認めたスタニアクは、殺人に至った動機をこのように供述した。かつて彼の両親と姉が凍りついた路面でスリップした車にはねられて死亡した。しかし、運転手の女性はお咎めなしだった。以来、彼は女性全般を憎悪するようになった。彼が最初の女性を殺したのは、彼女がその時の運転手に似ていたからだ…。この供述の真偽は判らない。ただ、彼の作品「生命の輪」とはリンクしている。 |
| 参考文献 |
『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社) |