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アルフレッド・ラウス
Alfred Rouse (イギリス)



燃やされていたモーリス社製の小型乗用車

 1930年11月5日、イングランド中部ノーサンプトン近郊での出来事である。その夜は火薬陰謀事件の首謀者ガイ・フォークスの逮捕を記念して、彼の人形を焼き払うことがイングランドでの恒例の行事になっているのだが、もう午前2時を回っているというのにまだ焼いている人がいる。不審に思った2人の若者が近づくと、その方向から歩いて来た男がすれ違いざまに、
「誰かが焚き火をしているようですな」
 と云い残して足早に立ち去った。おいおい、焚き火にしては火が大き過ぎやしないかい? 眼を凝らしてよく見ると、燃えているのは自動車だった。その助手席では人形ではなく人間がこんがりと焼けていた。

 自動車の持ち主はすぐに割れた。アルフレッド・ラウスという36歳の販売外交員だ。また、発見者の若者により、当日すれ違った男がラウスであることが確認された。間もなくロンドンで身柄を拘束されたラウスは、その夜にあったことをこのように弁明した。

「乗っていたのはヒッチハイカーなんです。名前は判りません。とにかく、尿意をもよおしたのであの場所に停めたんですよ。私は男にトランクの中の缶からガソリンを車に入れておいてくれと頼みました。振り返った時にはもう車は炎に包まれていました。おそらく男の煙草が引火したんです。車内にいるのが見えましたが、どうしたらいいのか判りませんでした。気が動顛した私は、そのままその場を立ち去りました」

 裁判官から「極めつきの嘘つき」と酷評されたラウスは、有罪判決は免れないと悟るや『デイリー・スケッチ』紙に真相を語った。

「あの頃は身辺でごたごたが続いていました。ネリーは2人目を妊娠中で、パディからも月のものがないことを告げられていたのです。心底うんざりしていました。心機一転やり直しがしたかったんです」

 ラウスは結婚していたがどうしようもない浮気性で、方々に何人もの愛人を抱えていた。しかし、私生児の養育費やらなんやらで出費が嵩み、首が回らなくなっていた。そこで死んだことにして人生をやり直そうと思ったのである。これが殺人の動機である。つまり、これは身代わり殺人だったのだ。

「そんな折り、ウェットストーン・ハイ・ロードで一人のホームレスが私に話しかけてきました。私はパブに連れて行くとビールを奢りました。この時、私は妙案を思いつきました。いなくなっても誰も気にしないような男です。私の代わりに死んでもらおう。決行は11月5日と決めました」

 その日はガイ・フォークス・ナイトで、車を燃やしても目立たないと思ったからである。

「男は職を探しに北の方に行きたいと云っていました。そこで11月5日なら私も行く予定があるので車に乗せてやろうと持ちかけたのです。
 その夜、私は男にウイスキーの瓶を手渡すと、ロンドンを午後8時半頃に出発しました。ノーサンプトンに着くころには男は酔いが回って高鼾です。首を絞めると、男は喉をごろごろと鳴らしてぐったりしました。死んだか気絶したかは確認していません。ガソリンを撒いて火をつけると、車はあっという間に炎に包まれました。ところが、まずいことに2人の若者がこちらに近づいて来るではありませんか。顔を見られてしまったので計画はおじゃんです。後で気づいたのですが、私の認識票を男のポケットに入れるのを忘れていました」

 あまりの杜撰な犯行に呆れてものが云えない。無駄に殺された男が不憫である。
 予想通りに有罪になったラウスは1931年3月10日に処刑された。殺された男が何者であるかは未だに不明のままである。


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『死体処理法』ブライアン・レーン著(二見書房)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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