『カンニバル! THE MUSICAL』
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パッカーが再逮捕されたのは9年後、1883年3月12日のことである。ジョン・シュワルツという偽名で無法者の一団に紛れていたのだ。
裁判においてパッカーは、自分が殺したのはウィルソン・ベルだけで、しかも正当防衛だったと主張した。5人が仲違いを始め、互いに殺しあったと云うのだ。しかし、これは当初の供述とは異なる。陪審員たちはもうパッカーのことを信じなかった。メルヴィル・ジェリー判事までもがパッカーに毒づいた。
「ヒンズデール郡には民主党員が7人しかいない。なのに貴様はそのうちの5人を喰っちまった。この共和党員の糞ったれめ!」
(Packer, you depraved Republican son of a bitch ! There were seven Dimmycrats in Hinsdale County and you ate five of them !)
死刑が宣告されたが、再審で懲役40年に減刑、恩赦により1901年1月1日に釈放された。服役中も釈放後も一貫して無罪を主張し続け、1907年4月24日にデンバーの農場で死亡した。65歳だった。
御当地では当時も今もアルフレッド・パッカーは人気者である。『民主党員を喰った男』という歌が流行し、コロラド州立大学の学生食堂は彼にちなんで「アルフレッド・パッカー・メモリアル・グリル」と名付けられた。今日でも繰り返し創作の題材になっており、最も有名なのがトレイ・パーカーの初監督作『カンニバル! THE MUSICAL』だろう。
パッカーは実は無罪なのではないかという検証も繰り返し行われている。1989年には科学者チームが最新の法医学技術を駆使して検証し、出した結論が「やっぱり有罪」。遺体から肉を削いだ時に骨についたナイフの傷跡がどれも同じで、同一人物による犯行を示していたのだ。ジェイムス・スターズ教授曰く、
「パッカーは朝昼晩と切り身にした人肉を食べていた。ウサギを食べて生き延びることも出来た筈なのに」
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