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ハーバート・レナード・ミルズ
Herbert Leonard Mills (イギリス)


 

 1951年8月9日のことである。『ニューズ・オブ・ザ・ワールド』紙にノッティンガム在住の男からの電話があった。なんでも死体を発見したというのだ。ならば先に警察に通報するのが筋なのだが、彼は何故か新聞社に電話した。この時点で既に胡散臭さが漂ってくる。
 電話の主は自称「画家兼詩人」のハーバート・レナード・ミルズという19歳の青年だった。創作の着想を得るために散歩していたら、死体に出くわしたのだという。絞殺されていたのはメイベル・タターショウという48歳の主婦であった。
 記者の取材に応じたミルズは、おもむろに手書きの原稿を取り出すと、それを記者に渡して稿料を請求した。この不可解な行動に記者は呆気に取られた。原稿の内容は更に驚くべきものだった。それは殺人の告白文だったのである。

「私は常に完全犯罪の可能性を考えていた。そして、遂にそれを実現させる好機を得た。動機がなく、手掛かりもない。私は完璧に成し遂げたのだ。私はこの偉業を誇りに思っている。ここに声を高らかに告白する。タターショウ夫人を殺害したのは私である」

 どうやら彼は「完全犯罪」を成し遂げて有頂天になっていたようなのだ。映画館で夫人と出合ったミルズは、言葉巧みに連れ出して絞殺した。動機もなければ手掛かりもない。探偵小説マニアの彼は、シャーロック・ホームズやエルキュール・ポワロでさえも解けない謎を作り上げたのだ。
 ところが、彼の犯行は完全過ぎた。待てど暮らせど誰も遺体を発見しなかったのである。これでは折角の偉業が台無しだ。業を煮やした彼は自ら新聞社に電話し、「どうだ、まいったかあ」と自慢した、という訳なのだ。
 あほくさ。

 ミルズが犯した致命的なミスは、有頂天になるあまりに自らが探偵役にも扮して謎解きをしてしまったことである。答が判っていれば証拠を集めるのは簡単だ。被害者の遺体を丹念に調べた捜査官は、その爪に繊維が引っ掛かっているのを発見した。それはミルズの背広のものと一致した。これが決定的な証拠となり、ミルズは死刑を宣告された。

 ミルズの動機は、おそらく売名だったのだろう。ひょっとしたら死刑を免れたドナルド・ヒュームに影響されたのかも知れない。自分ならばヒュームよりももっと手際よく完全犯罪を成し遂げられる。そして、彼よりも有名になってやる。そんな思いが透けて見える。確かにミルズは有名になった。しかし、今日ではヒュームは知っていてもミルズを知っている者は少ない。事実、彼の写真が手に入らない。命と引き換えの割りには大した売名になってないのとちゃうか?


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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