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ジョン・ドナルド・メレット
John Donald Merrett (イギリス)



法廷に証拠物件として提出された耳

 法廷には様々な物が証拠として提出されるが、耳というのは前代未聞であろう。しかも、それは被告人の母親、バーサ・メレット(55)の耳だったのである。

 1908年に生まれたジョン・ドナルド・メレットは我が儘な子に育った。母一人子一人ということで甘やかしたのがいけなかったのか? エジンバラ大学に進学してからは、学業よりもデートに明け暮れ、金遣いも荒くなって行った。
 1926年3月の或る日のこと、小間使いがいつものように家事をしていると、突然に銃声が鳴り響いた。間髪入れずにお坊っちゃまが叫んだ。
「大変だあ。お母さまが自殺したあ」
 小間使いが駆け寄ると、奥さまが頭から血を流して倒れていた。まだ死んでいない。担ぎ込まれた病院で、彼女は奇跡的に意識を取り戻した。
「手紙を書いているとドナルドがうるさくつきまとうので、うるさいからあっちへお行きと云いました。憶えているのはそれだけです」
 たどたどしい口調で語る彼女には自殺の動機があるようには思えない。しかし、息子のドナルドによれば、母親は金銭上のトラブルを抱え、以前からかなり悩んでいたという。
 母親は2週間後に死亡したが、当局は自殺か他殺か判断しかねていた。ところが、7ケ月ほど経った頃、ドナルドが母親の署名を偽造して小切手を濫発していたことが発覚した。
 動機はこれだ!
 かくしてジョン・ドナルド・メレットは母親の殺害及び小切手偽造の容疑で逮捕された。

 法廷に提出された母親の耳が物語るところは「発砲された時に銃口が彼女の頭から少なくとも20cm離れていた」ということである。そこには焼け焦げた跡がなかったからだ。そして、そのような体勢で自殺することはまず有り得ない。故に他殺である、というのが検察側の主張だった。しかし、陪審員を納得させることは出来なかった。殺人に関しては「証拠不十分」ということで無罪となり、メレットは小切手偽造の件でのみ有罪となって1年の刑が云い渡された。

 出所後、母親の遺産を相続したメレットは、名前をロナルド・チェズニーと変えて、ヴェラ・ボナーという17歳の娘と結婚した。金遣いの荒い彼はたちまち遺産を喰い潰し、ケチな詐欺や恐喝を繰り返していたようである。第二次大戦が始まると、借金取りから逃げるかのように海軍に志願し、戦後はドイツの闇市をウロウロしていた。

 1954年、久しぶりに帰国したメレットは、酒に酔わせた妻(43)を浴槽に沈めて殺害した。動機は彼女の遺産着服である。母と共に養老院を経営していた彼女は小金を貯めていたのだ。ところが、現場を義母のメアリー・マンジーズ(72)に目撃され、騒がれちゃ困ると首を絞めた。かくして事故死に偽装した完全犯罪のプランは崩れ、メレットは英国のみならず欧州全土で指名手配された。

 やがてメレットの遺体がドイツのケルンで発見された。頭部を自ら撃ち抜いている。自殺であることは間違いない。そして、彼が母親を殺害したことも、今日では異論がないようだ。


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『死体処理法』ブライアン・レーン著(二見書房)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)


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