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シャロン・キン
Sharon Kinne (アメリカ・メキシコ)



シャロン・キン
(20歳と24歳の時のマグショット)

 1960年3月19日、カンザス・シティでの出来事である。警察に興奮した若い女からの通報があった。
「夫が娘に撃たれた! 夫が娘に撃たれた!」
 2歳半の娘が拳銃で遊んでいるうちに暴発し、夫の後頭部に命中したと云うのだ。通報者はシャロン・キンという20歳の主婦だった。4年前にジェイムス・キンと結婚し、幸せな家庭を築いている最中の出来事だった。
 半信半疑の刑事は、試しに空の拳銃をテーブルの上に置いてみた。すると、2歳半の娘はそれを手に取り、引き金こそ引かなかったものの、安全装置を外した。
「夫はいつも銃を棚に置いていたんです。娘がイタズラするので、ちゃんとしまってとお願いしていたのですが…」
 検視官も事故死と判断し、シャロンには保険金が支払われた。彼女はそれでサンダーバードを買った。以前から欲しかった車だ。

 2ケ月後の5月27日、警察に興奮した若い女からの通報があった。
「女が殺された! 女が殺された!」
 森の中で女の死体を発見したと云うのだ。電話の主はまたしてもシャロン・キンだった。
 女は22口径の銃で胸を4発撃たれていた。身分証からパトリシア・ジョーンズと判明。シャロンにサンダーバードを売ったハンサムなセールスマンの妻である。
 誰が考えても怪しいのはシャロンである。事実、殺された日にパトリシアがシャロンの車に乗り込むのが目撃されている。また、シャロンは友人に22口径の拳銃を代わりに買ってもらっている。その際、自分の名前で登録しないで欲しいと頼んだそうだ。

 かくしてシャロンはパトリシア殺しの容疑で起訴されたわけだが、まことに強運な女である。凶器と目される拳銃は中古品で、未発見のままだったので、かつての所有者が射撃練習をした木から弾を回収して弾道検査が行われた。ところが、それがパトリシアに撃ち込まれた弾と一致しなかったのだ。証拠がない以上「疑わしきは罰せず」である。シャロンは晴れて無罪となった。
 検察としてはこのままでは引き下がれない。今度はシャロンを夫殺しの容疑で起訴した。
「2歳半の幼児の握力では引き金を引くことはできない」
 との専門家の証言が効を奏して一審では有罪になったが、控訴審では一転して無罪となった。シャロンはまたしても逃げおおせたのである。あっぱれである。

 1964年9月14日、シャロンはまたしてもメキシコ・シティで逮捕された。モーテルで行きずりの男を射殺した容疑である。彼女は襲われたので撃つしかなかったと弁明したが、メキシコの裁判官には通用せず、10年の懲役を云い渡された。
 凶器が22口径だったことを聞きつけたアメリカ側の検事が現地に赴き調査した結果、それはパトリシア・ジョーンズを殺害した銃だった。

 その後、シャロンは刑が不服として控訴審を争うも、逆に「10年では短過ぎる」と3年追加されてしまう。しかし、彼女は諦めない。1969年12月7日に脱走し、今日に至るまで行方知れずである。現在生きていたならば71歳だ。あっぱれである。頑張って欲しい。


参考文献

『現代殺人百科』コリン・ウィルソン著(青土社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)
『LADY KILLERS』JOYCE ROBINS(CHANCELLOR PRESS)


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