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ハロルド・ジョーンズ
Harold Jones (イギリス)



種苗店の前に立つハロルド・ジョーンズ

 1921年2月5日、サウス・ウェールズのアバティラリーでの出来事である。フリーダ・バーネルという8歳の少女が種苗店にお使いに出たまま行方不明になった。15歳の店員、ハロルド・ジョーンズ曰く、
「その女の子なら確かに来ましたよ。買い物をすると帰りました」
 翌朝、フリーダの遺体が店の近くの狭い路地裏で発見された。頭部を殴打されており、首を絞められた痕もあった。強姦はされていなかったが、しようとした痕跡が残されていた。

 当然、ハロルドに疑いの眼が向けられた。店を捜索した警察は、裏小屋でフリーダのハンカチを発見した。ここが犯行現場だったことは間違いない。かくしてハロルドは逮捕された。
 しかし、裏小屋が犯行現場だったとして、必ずしもハロルドの犯行だとは限らない。ハロルドが彼女を送り出した後、別の者が連れ込んだ可能性だってあるのだ。また、写真を見て頂ければ判るかと思うが、こんな真面目そうな少年が殺人を犯すとは思えない。陪審員は無罪を評決。法廷は歓声で沸き返り、支援者たちが用意したオープンカーでハロルドは颯爽と凱旋した。

 その2週間後の7月18日、フローレンス・リトルという11歳の少女が行方不明になった。最後に目撃されたのは、ハロルドの家のそばで遊んでいる姿だった。尋問されたハロルド曰く、
「その女の子なら確かに遊んでいましたよ。でも、そのうちどこかに行きました」
 付近を捜索した警察は、ハロルドの家で血痕を発見した。それを辿って台所から屋根裏部屋へと向った警察は、そこでフローレンスの遺体に出くわした。彼女は無惨にも喉を切り裂かれていた。
 もはや云い逃れは出来なかった。支援者たちも支援したことを思いっきり後悔した。
 ちくしょう。やっぱりこいつだったのか。
 観念したハロルドは、フリーダの件も併せて罪を認めた。動機は「殺人の衝動」だったと語ったが、それはおそらく性的なものだったのだろう。

 ところが、である。ハロルドは子供である。極刑は望めない。結局、不定期刑に留まった。そして、1941年に釈放された。30年後の1971年に死亡したと伝えられている。


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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