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ホセイン兄弟
The Hosein Brothers (イギリス)



アーサーとニザムのホセイン兄弟

 間抜けな誘拐犯の物語である。現実に人が1人死んでいるので笑ってしまっては申し訳ないが、そのあまりの間抜けっぷりには失笑を禁じ得ない。コーエン兄弟に『ファーゴ』という間抜けな誘拐犯の映画があったが、まさにあれを地で行く間抜けっぷりである。

 ホセイン兄弟はトリニダード・トバゴからの出稼ぎ移民である。その目的はもちろん、大金持ちになって故郷に錦を飾ることだ。
 兄のアーサーは、当初は人種偏見の壁に阻まれたが、やがて仕立て職人として成功した。パブで気前よく札ビラを切り、からかい半分に「キング・ホセイン」と呼ばれていたこともあるという。ところが、それも兵役で中断される。
「俺は戦争しに来たんじゃねえ」
 脱走を企てるも失敗。軍法裁判にかけられて、以後はトンとうまく行かなくなった。
 一方、兄を頼って渡英したニザムは、出来の悪い末っ子だった。子供の頃から暴力沙汰を起こしては警察のお世話になっていた。

 心機一転を図ったアーサーは、1年ほど前にロンドン北60kmのルークス農場を1万4千ポンドで購入したが、そのローンが9千ポンドも残っている。農場の稼ぎだけではとても追いつかなかった。
「なんかうまい儲け話はねえかなあ」
 そうボヤきながらTVをつけると、英国の大橋巨泉ことデヴィッド・フロストの番組が始まった。今日のゲストは新聞王ルパート・マードックだ。フロストは彼が保有する巨万の富と『ニュース・オブ・ザ・ワールド』の乗っ取りを巡る資金の動きについてあれこれと質問していた。
「あるところにはあるもんだなあ」
 ここでこの兄弟に魔が差した。マードック氏のうら若き妻アンナ(23)の誘拐を「いっちょやってみっかあ」と思い立ったのである。身代金は手いっぱいに100万ポンド。一世一代の大勝負だった。

 誘拐のためには、まずは住所を知らねばならぬ。兄弟は電話帳で調べたが、ルパート・マードックは載っていなかった。当たり前である。マードックほどの要人が電話帳に住所を晒している筈がない。仕方がないので『ニュース・オブ・ザ・ワールド』社に出向き、マードックが乗っているロールスロイスのナンバーを控えた。そして登録局に電話して、事故がどうとか偽って住所を聞き出そうとしたのだが、これも徒労に終わった。車は会社の所有物だったのだ。もうこうなりゃ最後の手段だ。兄弟は会社の前に張り込んで、ロールスロイスを尾行して遂に住所を突き止めた。ウィンブルドンのアーサー・ロード20番地。ところ
が、そこはマードックの家ではなかった。副社長のアリック・マッケイの家だった。その時、マードック夫妻は休暇でオーストラリアに出掛けており、ロールスロイスはマッケイが代わりに使っていたのである。
 間抜けであるなあ。
 つまり、彼らが誘拐したのは、マードック夫人ではなく、マッケイ夫人だったのである。



この御婦人を知りませんか?

 1969年12月29日月曜日午後7時45分、帰宅したアリック・マッケイはすぐに異変に気づいた。居間では妻のハンドバッグの中身が散らばり、椅子には梱包用の紐、テーブルにはガムテープと鉈が置かれている。電話線は壁から引き抜かれている。そして、妻はいない。明らかに誘拐である。
 しかし、通報を受けた警察は誘拐には懐疑的だった。そもそも英国では誘拐事件の前例がほとんどなかったのだ。誘拐なんて野蛮な犯罪はアメリカのギャングが起こすもの。そんな固定観念があったのである。
 また、マッケイが妙に冷静だったことも警察に疑念を抱かせた。
 更に、マッケイがマスコミの人間だったことも警察との対立を生んだ。彼は報道こそが最善の方法と考えていたが、それは警察のやり方ではないのだ。
 こうした足並みの乱れが、事件の解決を遅らせたことは否めない。つまり、犯人も間抜けだが、捜査側も、被害者側も、同様に間抜けだったのである。

 犯人から電話があったのはその日の深夜、午前1時15分のことである。実はこれより15分前、午前1時にBBCラジオがマッケイ夫人失踪の第一報を報じていた。犯人からの連絡の前に報道してしまうとは信じられないことである。

「こちらはアメリカのマフィア『M3』だ。あんたの奥さんは我々が預かっている」
「妻はそこにいるのか?」
「水曜日までに100万ポンド用意しろ」
「何の話だ。よく理解できないが」
「いいか。マフィアだ。判るか?」
「ああ、聞いたことはある」
「あんたの奥さんを我々が保護した。その値段が100万ポンドということだよ」
「そんなべらぼうな。100万ポンドなんか私に払えるわけがない」
「なければ作れ。あんたにはいいお友達がいる。そいつに出してもらえ」
「誰のことだ?」
「ルパート・マードックだ。我々の当初の目的は彼の奥さんだった。ところが手違いで、あんたの奥さんを誘拐したんだ」
「ルパート・マードック?」
「水曜日の晩までに100万ポンド用意しろ。さもなければ、あんたの奥さんを殺す。判ったな?」
「それで私はどうすればいいんだ?」
「次の連絡を待て。とにかく金を用意しろ。また連絡する」

 政府の要人ならともかく、家庭の主婦に100万ポンドも要求するとはあまりにも非常識である。警察は狂言の可能性も含めて慎重に対応した。つまり、この時点をもってしても誘拐には懐疑的だったのである。
 また、BBCが電話の前に誘拐を報道してしまっていたこともネックになった。イタズラ電話の可能性もあるのだ。ただ、報道では「『ニュース・オブ・ザ・ワールド』社長代行夫人」とだけ報じられていたため、その可能性は低いだろうということで落ち着いた。
 一方、マッケイは途方に暮れていた。100万ポンドなんて大金を工面できる筈がない。60歳になったマッケイは第一線から退き、クリスマスの前、つまり、つい先日に重役職に就いたばかりだったのだ。

 ミュリエル・マッケイ夫人(55)からの手紙が届いたのは、12月31日の午後のことである。

「愛するアリックへ。私は今、目隠しをされて寒さに震えています。毛布しか与えてくれません。どうか私が家に帰れるように計らって下さい。犯人に協力して下さらないと、私の命はありません」

 警察とマッケイとの間で、この手紙をマスコミに公表すべきかどうか議論が交わされた。警察は当然に反対したが、結局、マッケイに押し切られる形で公表することとなった。
 実はマッケイには思惑があった。身代金の値切りである。記者会見の場で妻が重い心臓病を患っていることを強調し、このまま妻が死んでしまえば一文にもならないことを暗に犯人に伝えたのである。しかし、間抜けな犯人にそんな腹芸が通用する筈がない。自称マフィアはなおも100万ポンドを要求し続けた。

 3週間が過ぎようとしていた。その間、マッケイはオランダの有名な「超能力探偵」ジェラルド・クロワゼット(ジェラール・クロワゼ)の協力を求めたが、結局、何の役にも立たなかった。犯人との交渉はマメに続き、
「2万ポンドなら支払う」
 と大きく値切ったマッケイだったが、犯人の怒りを買うだけだった。
「そんなはした金じゃ話にならん。まず半金として50万作れ」
 このままじゃ埒が明かない。警察はマッケイに懇願した。
「半金の50万で折り合って下さい。こちらでニセ札を用意しますから」

 取引は2月1日に行われた。しかし、犯人は引き渡し場所に現れなかった。2日後、マッケイのもとに電話があった。
「ボスが笑ってるぞ。どうしてあんなに車が停まってたんだ? どうしてあんなに通行人がいたんだ?」
 警察は少々気合いが入り過ぎて、張り込みを動員し過ぎてしまったらしい。いくら間抜けだとはいえ、人ごみの中で身代金を受取るバカはいない。
「これが最後のチャンスだ」
 2度目の取引は2月6日に行われた。先日の失態に懲りた警察は最小限の人員で現場に臨んだ。ところが、ここでとんだ邪魔が入った。ニセ札が詰まったスーツケースを通行人が落とし物だと思い、交番に届けてしまったのである。
 間抜けであるなあ。
 ここまで間抜けな誘拐事件は、ちょっと他にないんじゃないかしら。



捜索中のルークス農場

 犯人はまたしても金を手にすることができなかったが、警察側はようやく有力な手掛かりを手にした。2回に渡る取引の際に、現場をウロウロするボルボが目撃されていたのである。ナンバーを照会した結果、アーサー・ホセインの名前が割り出された。誘拐当日に目撃されていた「不審な肌の黒い男」、電話交換手が証言した「黒人風の訛り」等の情報は彼が犯人であることを裏づけていた。

 さて、このおかしなおかしな誘拐事件は、最後の最後で悲惨な結末を迎えなければならない。
 ルークス農場を捜索した警察は数々の証拠を見つけたが、肝心のマッケイ夫人だけは遂に見つけることは出来なかった。殺害されたことは間違いない。近所の婦人が元旦に牧場で銃声が鳴り響くのを耳にしている。兄弟がだんまりを決め込んでいる以上、真相は不明のままだが、おそらくバラバラにして豚に食べさせてしまったのだろう。その豚もすべて出荷されて食べられてしまった。

 ホセイン兄弟は有罪となり、殺人については終身刑、誘拐及び脅迫についてはアーサーには禁固25年、ニザムには禁固15年が云い渡された。


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『現代殺人百科』コリン・ウィルソン著(青土社)
週刊マーダー・ケースブック26『消えた重役夫人』(ディアゴスティーニ)
『死体処理法』ブライアン・レーン著(二見書房)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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