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ヨーハン・ホーク
Johann Hoch (アメリカ)



ヨーハン・ホーク

 1904年12月、シカゴで菓子店を切り盛りする未亡人ジュリア・ウォーカー(46)は新聞広告に応じて手紙を出した。その広告とはこのようなものだった。
「未亡人との交際を求む。目的は結婚」
 数日後、彼女はホーク夫人になった。広告主であるヨーハン・ホークと早々に結婚したのだ。
 ホークはジュリアに投資話を持ちかけた。愛しちゃってるのでジュリアは貯金を残らずはたいてホークに貢いだ。1ケ月後にジュリアは急死。その4日後にホークはジュリアの妹、アミーリアと再婚したというから呆れてしまう。
 ホークはアミーリアに投資話を持ちかけた。愛しちゃってるのでアミーリアは貯金を残らずはたいてホークに貢いだ。しかし、彼女の場合は幸運だった。ドロンされるだけで済んだのだ。

 アミーリアの通報を受けて警察が捜査に乗り出すと、ホークの悪事が次から次へと明らかになった。1892年から今日までに少なくとも24人(一説には55人)の女性と結婚し、その財産を巻き上げていた常習犯だったのだ。うちの15人が貢いだ後に急死している。偶然とは思えない頻度だ。案の定、掘り起こされたジュリアの遺体からは砒素が検出された。

 明けて1905年1月、ホークの手配写真が新聞に掲載されると、ニューヨークの下宿屋の女将から通報があった。写真とそっくりの男が現在投宿しており、自分も求婚されているというのだ。その日のうちにホークの身柄は確保された。彼はポケットに奇妙な万年筆を持っていた。中にはインクの代わりに白い粉が入っている。
「これは何だ?」
「…歯磨き粉です」
「じゃあ、磨いてみ?」
「…イヤです」
「なんで?」
「…本当は砒素だからです」。
 自殺用に所持しているというのだが、スパイじゃあるまいし、この弁明は通らない。
シカゴに戻されたホークはジュリア殺しで有罪となり、翌2月に絞首刑に処された。


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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