ジョン・ウェイン・ゲイシー |
ジョン・ウェイン・ゲイシー |
何故かこの男は人気があるのだ。たしかに、ピエロに扮装したり、ヘタクソな絵を書いたりと、子供たちに受ける要素が揃っている。しかし、彼がしたことに眼を向けると胸糞が悪くなる。こいつは33人もの少年を犯し、拷問して無惨に殺害したのである。彼をアイドル視する風潮には、私は賛成できない。 |
ジョン・ウェイン・ゲイシー |
ジョン・ウェイン・ゲイシーは1942年3月17日、イリノイ州シカゴに生まれた。高圧的な父、ジョン・スタンリー・ゲイシーが後の大量殺人鬼の製造に一役買ったことはまず間違いないだろう。病弱だった一人息子(上と下は娘)を彼は虐待し続けた。怒鳴りつける、鞭を振う等の他にも、精神的に息子を痛めつけた。如何に期待はずれの息子であるかを当人の前で滔々と語った。息子の癲癇を仮病だと決めつけ、 |
床下は屍体でいっぱい |
成人し、靴のセールスマンとしてかなりの成績を修めたゲイシーは、1964年9月にマリリン・マイヤーズと結婚する。彼女の父親は地元ではかなり成功した実業家で、ゲイシーはケンタッキー・フライドチキンのフランチャイズ店の経営を任せられた。青年商工会議所でも積極的に活動し、1男1女にも恵まれ、あんなに否定的だった父も彼のことを認め始めた。なにもかもが順風満帆かに思われた。ところが、そんな或る日のこと、彼は少年に性行為を強要したかどで逮捕されてしまう。 |
ゲイシーの落書きはプレミアがついていたりする |
1970年、出所したゲイシーはデ・プレインでリフォーム業を始めた。かつてのセールスマンとしての腕前は健在で、会社は順調に売り上げを伸ばして行った。地元の民主党支部にも積極的に顔を出し、ポゴという名のピエロに扮して小児病棟や孤児院を慰問した。1972年6月にはハイスクール時代からの知り合いのキャロル・ホフと再婚し、第2の人生は順風満帆かに思われた。ところが、キャロルとの結婚の7ケ月前に、彼は既に最初の殺人を犯していたのだ。そして、1976年3月に離婚してからは、毎月のように殺し始めた。時には1日に2人殺すこともあったという。最後の5体を川に棄てたのは、もう床下に埋める場所がなくなってしまったからなのだ。 |
参考文献 |
『現代殺人百科』コリン・ウィルソン著(青土社) |