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マルタン&マリー・デュモラール
Martin & Marie Dumollard (フランス)



デュモラール事件を描いた当時の絵画

 1861年5月のことである。リヨンでメイドの仕事を探していたマリー・ピーションは、マルタン・デュモラールという武骨な男に声をかけられた。
「モンリュエル城で働いてみなさらんか。わたしもそこで働いておるのだが、ちょうど今、住み込みのメイドを探しておるのだよ。お前さんなら打ってつけだ。お給金もいいよ。是非来なされ」
 悪くない話だと思ったマリーは、男について行くことにした。ところが、道が寂しくなるにつれ、次第に不安が募り始める。
「あのう…私、やっぱりやめます」
 するとマルタンはポケットから紐を出し、マリーの首を絞めようとした。お転婆のマリーはマルタンの鼻っ面に一発喰らわし、近くの農家に逃げ込んで事なきを得た。

 翌日、マリーの通報を受けてマルタンの家を捜索した警察は、おびただしい数の女ものの衣料を発見。追求された夫人のマリー・デュモラールは、
「このひとがやった。このひとがやった」
 と全ての責任を夫に押しつけた。観念したマルタンは裏庭に警察を導く。そこには計3名の女性の遺体が埋められていた。

 夫妻が裏稼業を始めたのは10年ほど前のことである。彼らは口入れ屋を介してメイドを雇い、殺害していたのだ。娘が家にやって来ると、マリーはその所持品を「あたしが着られそうなものはこれ、着られそうにもないのはこれ」などと勝手に品定め。お次はマルタンの出番である。手篭めにすると、首を絞めるなり、ナイフで刺すなりして殺害した。この付近では以前から身元不明の娘の遺体が発見されていた。その犠牲者は少なくとも10名に及ぶとみられている。

 夫婦は揃って有罪となり、マルタンはギロチンにより斬首された。一方、マリーは終身重労働の刑に処せられ、死ぬまでガレー船を漕ぐ羽目になった。どちらが酷かと訊かれれば、ガレー船の方だと私は答える。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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