こんなおばちゃんが毒殺魔。にわかには信じられない話だが、さらに驚くべきなのは、動機が「真実の愛を求めて」だったということである。「てめえのツラをよく見てモノを云え」という言葉を彼女には捧げたい。
ナニーことナンシー・ヘイゼルは1905年11月4日、アラバマ州ブルーマウンテンの農場に生まれた。父親のジム・ヘイゼルは鉄道会社で働く傍らで農業を営んでいた。ナニーは厳格な父親が大嫌いだった。毎日のように農作業を手伝わされるのには我慢ならなかった。
「いつか王子様が私を迎えにやってくる」
そんなことを夢見ながら、母親の恋愛雑誌を読み耽った。
1921年、ナニーは16歳の時に同い年のチャーリー・ブラッグスと結婚する。しかし、この結婚はナニーの理想とは程遠いものだった。厳格な父親からやっと逃れられたと思ったら、口喧しい姑と同居しなければならなかったからである。また、ハンサムなチャーリーは浮気が絶えず、2、3日家を空けることもしばしばだった。ナニーも負けじと浮気を始め、夫婦仲はどんどんと険悪になって行った。
2人は数年のうちに4人の娘をもうけたが、やがて2人が死亡した。2人とも食中毒が原因と診断されたが、チャーリーは不審に思った。事件の発覚後、彼はマスコミにこのように語っている。
「葬儀屋に、子供たちは毒殺されたんじゃないかと云われたんだ。当時はそんなことは信じられなかったけど、ナニーのことでは友達からも注意されていたんで、彼女の気が立っている時には、食事や飲み物には手をつけないようにしていたよ。あれは癇癪持ちで、難しい女だった」
2人は1928年に離婚した。おかげでチャーリーは、生き長らえた唯一の夫となったのである。
1929年、ナニーは『トゥルー・ロマンス』という恋愛雑誌の恋人募集欄を通じて知り合ったフランク・ハレンソンと結婚する。しかし、フランクも彼女が望む王子様ではなかった。酒癖が悪いのだ。それでも酒さえ飲まなければいい人なので、しばらくは我慢していたが、遂に限界の時が来た。ベロベロになって帰って来たフランクに無理矢理犯されたのである。
真実の愛はこんなもんじゃない! あたしは認めない!
翌日、ナニーはフランクの酒瓶の中に殺鼠剤=砒素を入れた。フランクは、その日のうちに死亡した。1945年9月16日のことである。
ところで、フランクが死ぬ前の7月7日に、ナニーの娘メルヴィナの息子、つまり孫のロバート(2)がナニーの家で死亡している。死因は窒息だが、原因は判らなかった。ナニーが孫に生命保険をかけていたことも当時は誰も知らなかった。彼女は孫の死により、500ドルの保険金を受け取っていた。
1947年、ナニーはやはり恋愛雑誌の恋人募集欄を通じて知り合ったアーリー・ラニングと結婚し、アラバマ州からマサチューセッツ州レキシントンに移り住んだ。しかし、彼もまた王子様ではなかった。浮気の虫が治まらないのだ。ナニーの決断は早かった。アーリーはその年のうちに死亡した。
本来ならばすぐにでも財産を処分して新しい王子様探しに取り掛かりたかったナニーだが、遺言状によってアーリーの家は彼の妹に相続されることになっていた。そこで家を燃やして保険金をせしめることにした。ところが、バツの悪いことに、家を燃やす前にお気に入りの家財道具=テレビを持ち出すところを隣人に目撃されてしまう。
「あら、そんな重いもの持ってどちらにお出かけ?」
修理に出すとでも云えばいいのに、動揺したナニーはこう答えた。
「2、3日留守にするので、テレビを取られないようにと思って」
その3時間後にアーリーの家は燃え上がった。近隣ではナニーの放火が噂されたが保険会社の耳には届かず、ナニーはまんまと1475ドルの小切手をせしめた。その際に、持ち出していたテレビの代金を減額されて腹を立てていたという。
1952年、ナニーは今度は結婚紹介所を通じて知り合ったリチャード・モートンと結婚し、カンザス州オクマルジーに移り住んだ。しかし、彼もまた王子様ではなかった。多額の借金があったのだ。リチャードは翌年5月に死亡した。
なお、リチャードが死ぬ前の1月に、ナニーの母ルイーズが2人の家を訪問し、2日後に死亡している。やはりナニーの仕業であることが疑われている。
ナニーはリチャードの生前から既に最後の夫になるサミュエル・ドスと文通していた。そして、リチャードが死ぬや否や結婚し、オクラホマ州タルサに移り住んだ。しかし、彼もまた王子様ではなかった。酒飲みでも浮気者でも借金まみれでもなかったが、テレビを見せてくれなかったのだ。彼女は早速、他の王子様と文通を始め、サミュエルに砒素入りのプルーンを食べさせた。サミュエルが死亡したのは1953年10月6日。結婚してから僅か3ケ月後のことだった。
本来ならば、すぐにでも新しい王子様のもとに走って行きたいナニーであったが、今回ばかりは捗が行かなかった。サミュエルの遺体が検視解剖に回されてしまったのである。結果、胃の中から18人を殺せるだけの大量の砒素が検出された。かくして、おばちゃんは遂に逮捕された。
取調室でおばちゃんは、まるで世間話でもするかのように犯行の数々を供述した。
「あの人はほんとプルーンに目のない人でね、1パックまるごと煮てあげたらペロリとたいらげてしまったわ」
そして、捜査官に色目を使い、
「悪いわね、あたしのために夜更かしさせちゃって」
などと悪怯れるでもなく、くすくすと笑うのであった。
「真実の愛を求めて人を殺した」と主張するおばちゃんは全米の人気者になった。彼女もそれを楽しんでいたようで、にこやかに笑いながらインタビューに応じた。
「これだけ元気なら、また新しいご主人がみつかりますよ」
などと記者がからかうと、
「ああら、うれしいこといってくれるじゃない」
おばちゃんは上機嫌だが、結局、終身刑を宣告された。死刑にならなかったのは、オクラホマ州では女性を電気椅子送りにした前例がなかったためと云われている。
ナニー・ドスは1965年6月2日、獄中で白血病を患い死亡した。59歳だった。迎えに来たのは王子様でなく、死神だったのだ。
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