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ドミニシ事件
L'affaire Dominici (フランス)



ジャック・ドラモンド卿とその妻子


ガストン・ドミニシ


ガストン・ドミニシ


ジャン・ギャバン主演『ドミニシ事件』

 本件はいわゆる未解決事件とは異なる。容疑者としてガストン・ドミニシが逮捕され、有罪を宣告されている。しかし、彼が本当に犯人であったと断言するには勇気がいる。だからこそドゴールは彼を釈放したのである。後に類似事件が同じ場所で発生している。謎は深まるばかりなのである。

 1952年8月5日、プロバンス地方リュール近くの川辺で、英国の高名な生化学者ジャック・ドラモンド卿(61)と、その妻アン(46)、そして娘のエリザベス(11)が殺害された。3人はワゴン車で南フランスのヴァカンスを楽しんでいる最中だった。夫妻はテントの近くで寝巻き姿のまま射殺されていた。夫人は胸に2発、ドラモンド卿は背中に3発被弾している。娘は100mほど離れた川辺まで追い掛けられて、銃床で撲殺されていた。

 第一発見者のギュスターブ・ドミニシ(33)は、現場に隣接するグラン・テール農場のオーナーの息子だった。
「前夜の午前1時頃に銃声を耳にしたが、恐ろしくて外に出られなかった。朝の5時半頃に外に出ると、川辺で少女の死体を見つけた」
 しかし、彼は鉄道作業員が遺体を見つけて警察に届け出るまで、自ら通報しなかった。如何にも不審な振る舞いである。やがて彼が通報者の鉄道作業員に「少女を見つけた時にはまだ息があった」と打ち明けていたことが発覚する。かくしてギュスターブは瀕死の少女を放置したかどで逮捕され、2ケ月の禁固刑が下された。

 一方、付近一帯を捜索した警察は、川の中から凶器のアメリカ製カービン銃を発見した。その所有者はガストン・ドミニシ(75)。ギュスターブの父親にして、ドミニシ家の絶対的な家長である。警察の厳しい取調べに対してギュスターブは父親の関与を頑なに否定していたが、11月13日に遂に折れた。父親の犯行であることを認めたのである。

 逮捕されたガストンは、意外にもあっさりと罪を認めた。その夜、自分の土地でキャンプしている旅行者を見つけたガストンは、追い払おうとして近づいた。すると、寝巻きに着替える夫人の艶姿が眼に飛び込んで来た。年甲斐もなく欲情したガストンが飛びかかると、ドラモンド卿が邪魔立てした。揉み合ううちにカービン銃が暴発した。夫人と娘が悲鳴を上げたので、彼らの息の根も止めた…と云うのだが、こんな老いぼれがそれほどたやすく欲情するものだろうか? 嘘の供述で身内を、おそらくギュスターブを庇っているのではなかろうか?
 すると、ガストンはまもなく前言を翻した。自分は何もしていないし、見てもいない。事件のことはまったく知らないと云い出したのだ。
 そこにギュスターブの嫁、イヴェットが口を挟み、お父さんの仕業に間違いないと申し立てた。
 一方、ギュスターブはというと、こちらも前言を翻して、お父さんは殺していないと云い出した。ところが、しばらくすると気が変わり、間違いなくお父さんが犯人だと宣誓の上に証言した。
 何が何だかさっぱり判らない。

 この不可解な泥試合はマスコミの好奇心を大いに掻き立てた。殺されたドラモンド卿が戦時中は諜報部員だったことが判明してからは、話はどんどこ大きくなった。田舎の情痴殺人がたちまちスパイ戦へと発展して行った。
 たしかに、ドラモンド卿が諜報活動を行っていたという説には根拠がないこともない。現場の近くには化学薬品工場があり、化学兵器が研究されているのではないかと噂されていた。そして、ドラモンド卿は1947年と翌48年にもこのリュールを訪れている。また、殺害現場からは彼のカメラが見つからなかった…。
 しかし、仮にそうだとしても、そのこととドミニシ家の罪のなすり合いとはどういう関係があるのだろうか?

 結局、ガストン・ドミニシ翁の単独犯ということで起訴されて有罪が評決されたわけだが、その間にも息子たちが殴り合いの喧嘩をし、ギュスターブが自殺騒ぎを起こすなど、いざこざは絶えなかった。ガストンは死刑を宣告されたが、高齢を理由に終身刑に減刑。そして、1960年には大統領恩赦で釈放され、1965年に真相を語ることなく死亡した。88歳だった。

 1973年、ガストン・ドミニシの不可解な事件はジャン・ギャバン主演で映画化された(『L'affaire Dominici』)。ところが、まさにこの年、ほぼ同じ場所で、やはり英国の学者ジョン・ベイジル・カートランド卿(60)がキャンプ中に殺害された。彼もまた戦時中は諜報部員だった…。
 この件では負傷した息子のジェレミー・カートランド(29)が疑われて、国際問題にまで発展しかけた。真相は解明されることなく、未解決のままである。
 やはり、スパイ戦だったのだろうか? そうならば尚更、真相が解明されることはないだろう。

註:今日では、ガストン・ドミニシの有罪判決に関しては、ドミニシ家の確執を悪用して自白に追い込んだ冤罪とする説が有力である。


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『世界犯罪者列伝』アラン・モネスティエ著(宝島社)
『未解決事件19の謎』ジョン・カニング編(社会思想社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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