ドクター・クリッペン |
ドクター・クリッペン |
谷崎潤一郎は1927年に発表した『日本に於けるクリップン事件』の中でこのように述べている。 |
コーラ・ターナー |
本件の主人公、ホーリー・ハーヴェイ・クリッペンは1862年、ミシガン州コールドウォーターに生まれた。「ドクター」とされているが、働いていたのはホメオパシーの病院であり、正規の学位を持っていたかは疑問である。それはともかく、ニューヨークの診療所で働いていた頃にコーラ・ターナー、本名クニングード・マカモツキーという19歳のポーランド娘と出会う。これがそもそもの間違いだった。 |
男装したエセル・ル・ニーヴ |
さて、ここで3人目の登場人物が登場する。エセル・ル・ニーヴである。 |
コーラの一部の埋葬現場 |
コーラの姿が最後に目撃されたのは1月31日の晩のことである。翌日、クリッペンはコーラの指輪とイヤリングを質に入れ、エセルはクリッペンの家に住み着いた。その翌日、ミュージック・ホールのギルドにコーラからの手紙が届いた。辞職願いだった。理由は「親類急病のための渡米」。そして3月24日、コーラの友人のもとに彼女の死亡通知が届いた。 |
参考文献 |
『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社) |