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デイル・キャヴァネス
Dale Cavaness (アメリカ)



デイル・キャヴァネス

 1977年4月9日、ここはイリノイ州エルドラド。その日は復活祭前の金曜日で、デイル・キャヴァネスと元妻のマリアン、そして4人の息子は久しぶりに食事を共にする予定だった。ところが、待てど暮らせど長男のマーク(22)が現れない。マリアンと息子たちはマークを呼びに、キャヴァネスが経営するナマズの養殖場へと向った。彼はそこで働いていたのだ。
 次男のショーン(15)が先頭に立って養殖場へと続く小道を進んだ。すると草むらの中に何かを見つけた。それは野犬に喰い荒らされたマークだった。顔面はほとんど白骨状態で、歯は剥き出し、片方の眼は飛び出している。
「母さんは見ちゃ駄目
だ!」
 ショーンは慌てて制止したが時すでに遅し。悲鳴が一帯に響き渡った。

 検視によれば、死亡したのは前日の4月8日。胸部を撃たれているが、現場を検証した保安官は事故と判断した。というのも、現場に停めてあるトラックの中に、引き金にハンガーが引っ掛かったままのブローニング銃があったからだ。つまり、マークが銃をケースから取り出そうとした時に、引っ掛かっていたハンガーが引き金を引いて暴発した。ありえない事故ではない。
 その一方で、殺人と見る者もいた。事件の1ケ月ほど前に、父親のデイル・キャヴァネスがマークに生命保険をかけていたのだ。しかし、彼の犯行を裏づける証拠は何もない。事故と認定されることもないままに、事件は迷宮入りすることになった。

 キャヴァネスが逮捕されなかった理由として、彼が地元の名医だったことも挙げられる。開業医としてだけでなく、公立病院で外科部長も兼ねていた彼は「デイル先生」と親しみを込めて呼ばれる人気者だったのだ。そんな彼がまさか己れの息子を殺すとはとても信じられなかったのである。
 しかし、その一方で悪ふざけが過ぎる先生でもあった。レントゲン写真をすり替えて、
「悪性腫瘍がありますねえ」
「双子を妊娠されてますねえ」
 こんなドッキリを患者に仕掛けたりしていたのだ。
 また、金融投資やナマズの養殖、牧畜業にも手を出して、いずれも思うように行かずに多額の借金を抱えていた。自宅を含む所有不動産はたびたび不審火に遭い、その保険金を返済に充てていた。マリアンが離婚したのも自宅焼失後にトレーラーハウスに住まわされたからだ。1981年には健康保険の水増し請求がバレて罰金刑を受けている。
「地元の名医」としての体面を保つために切羽詰まっていたことはまず間違いない。そのためには息子を殺すことだってあり得るのだ。

 7年後の1983年12月13日、今度は次男のショーン(当時22)が遺体となって発見された。キャヴァネス家では22歳になると死ななければならない掟でもあるかのようだ。
 発見場所は人里離れた牧場で、後頭部を真後ろから1発、右耳の後ろを1発撃たれている。明らかに殺人だ。聞き込みを進めるうちに、ショーンが住むアパートの住人から不審車の情報を得た。事件前に同じ車がウロウロしていたという。彼はナンバーを控えていた。「イリノイAVT183」。登録者はデイル・キャヴァネスだった。

 逮捕されたキャヴァネスはこのように弁明した。長男の死後、ショーンは自棄になりアル中に成り果てていた。そんな彼を励まそうとドライブに誘った。2人で夜明けを眺めていると、
「父さんの銃を見せてくれないか」
 何も考えずにスミス&ウェッソン社製の367マグナムを手渡した。するとショーンは、
「母さんに愛していると伝えてくれ」
 と云うなり銃口を右耳にあてて引き金を引いた。止める間もなかった。しばし呆然とした後、息子が自殺したことを母親に伝えることは酷だと思った。そこで殺人に見せかけるために後頭部を撃った。
 この弁明は嘘である。検視解剖によれば最初の銃撃は後頭部なのだ。自ら後頭部を撃って自殺する者はいない。かくしてデイル・キャヴァネルは有罪となり、死刑を宣告された。

 上訴審を争っていたキャヴァネルは、保険会社を相手にショーンの生命保険金も争い始めたが、勝ち目なしと悟ったのだろう。1988年11月17日、独房の中で縊死した。なんともはや、やりきれない事件である。


参考文献

週刊マーダー・ケースブック80『家庭内殺人の悲劇』(ディアゴスティーニ)


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