1963年 7月12日 ポーリン・リード(16)
1963年11月23日 ジョン・キルブライド(12)
1964年 6月16日 キース・ベネット(12)
1964年12月26日 レスリー・アン・ダウニー(10)
手口はいつも同じだった。マイラが車に誘い込み、そして、ブレイディーと共に拷問して殺害し、荒地に埋めた。
彼らはかなりうまくやっていた。少なくともレオポルドとローブよりは巧妙だ。目撃者はいないし、遺体も見つかっていない。このまま行けば殺人があったことさえ判らない。
そこで彼らは仲間を増やすことにした。マイラの義弟のデヴィッドである。札付きのワルのあいつならいい仲間になるだろう。マルキ・ド・サドの素晴らしさを理解してくれた。今度はヒトラーの素晴らしさを語って聞かせよう。いや、その前にあいつの眼の前で殺人を実演してやろう。あいつならきっと判ってくれるさ。
ところが、デヴィッドは2人が思っていたほどワルではなかった。完全にブルってしまったデヴィッドは帰宅するや激しく嘔吐し、妻のモリーンに相談した。そして、夜明けを待って、公衆電話で警察に通報した。
数時間後、パン屋に変装をした刑事がブレイディーの家に踏み込んだ。そして、エドワーズ・エヴァンズ(17)の無惨な遺体を発見した。かくして、英国史上、最も冷酷な連続殺人事件は幕を降ろした。
この2人の犯行は本当に胸クソが悪くなるので、あまり詳しく書きたくないのだが、やはりこれだけは触れておかなければならない。
2人はマンチェスター駅のロッカーにスーツケースを預けていた。その中には公に出来ないような写真や録音テープが入っていた。写真の多くは彼ら自身のポルノグラフィーだったが、被害者の1人、レスリー・アン・ダウニーのものも含まれていた。そして、録音テープには、レスリーが拷問されて殺害されるまでが録音されていた。
この録音テープが決定的な証拠となり、2人は終身刑を宣告された。この事件を機に、英国では死刑の復活が叫ばれたことを最後に付記しておこう。
|