むかしむかし、アメリカのアラバマ州にナニーという名の娘がいました。
器量は人並みというところでしょうか。家が貧しかったので、子供の頃から農作業を手伝わされていました。ナニーはそれが堪らなく嫌でした。
「いつか王子様が私を迎えにやってくる」
そんなことを夢見ながら、母親の恋愛雑誌を読み耽りました。
そんなナニーが結婚したのは16歳の時です。相手のチャーリーは同い年の幼馴染みで、かなりの男前でした。ところが、彼は「王子様」ではありませんでした。浮気が絶えなかったのです。その腹いせにナニーもまた浮気をします。家庭はもうグチャグチャで、4人の子供をもうけたにもかからわず、2人は7年後に離婚しました。
その翌年、ナニーは『トゥルー・ロマンス』という恋愛雑誌の恋人募集欄を通じて知り合ったフランクという男と結婚しました。ところが、彼もまた「王子様」ではありませんでした。酒癖が悪いのです。それでもナニーはしばらくは我慢していました。酒さえ飲まなければいい人だったからです。
堪忍袋の尾が切れたのは結婚16年目のことでした。ベロベロになって帰って来たフランクに無理矢理犯されたのです。
「真実に愛はこんなもんじゃない! 私は認めない!」
翌日、ナニーはフランクの酒瓶に砒素を入れました。今日では許可なく手に入れられない猛毒ですが、当時はネズミ捕りとして普通に売られていたのです。フランクがその日のうちに死亡したことは云うまでもありません。
2年後、既におばあちゃんになっていたナニーは、恋愛雑誌の恋人募集欄を通じて知り合ったアーリーという男と結婚しました。ところが、彼もまた「王子様」ではありませんでした。最初の夫と同様に浮気性だったです。そうと判ると、ナニーはさっさと彼を始末しました。
4年後、ナニーは結婚紹介所を通じて知り合ったリチャードという男と結婚しました。ところが、彼もまた「王子様」ではありませんでした。
多額の借金があったのです。
「そんなこと、あたしゃ聞いちゃいないわよ!」
ナニーはさっさと彼を始末しました。
1年後、ナニーは恋愛雑誌の恋人募集欄を通じて知り合ったサミュエルという男と結婚しました。ところが、彼もまた「王子様」ではありませんでした。浮気性でも呑ん兵衛でも借金まみれでもありませんでしたが、テレビを見せてくれなかったのです。テレビはナニーにとって恋愛雑誌と並ぶ娯楽でした。それを見せてくれないのですから、殺しの動機としては十分です。サミュエルが砒素入りプルーンを食べて死亡したのは、結婚後わずか3ケ月のことでした。
このたびはサミュエルの遺体は検視解剖に回されて、遂にナニーの犯行は発覚しました。
ナニーは取調べにおいて、まるで世間話でもするかのように犯行の数々を供述しました。そして、捜査官に色目を使い、
「悪いわね、あたしのために夜更かしさせちゃって」
などと悪びれるでもなく、クスクスと笑うのでした。
「王子様」を求めて犯行に及んだと主張するナニーは全米の人気者になりました。彼女もそれを楽しんでいたようで、クスクスと笑いながらインタビューに応じました。ついたアダ名が「ギグリング・グラニー(クスクス笑うおばあちゃん)」。
「これだけ元気なら、また新しいご主人がみつかりますよ」
などと記者がからかうと、上機嫌で、
「ああら、うれしいこといってくれるじゃない」
しかし、それは叶いませんでした。終身刑を宣告されたナニーは、10年後に獄中で死亡しました。59歳でした。
「いつか王子様が私を迎えにやってくる」
そう信じるのは勝手ですが、現実のしあわせは意外と身近に落ちているものなのです。そして、晩年になってこう思うのです。
「私って、思っていたよりもしあわせだったんだなあ」
ナニーはそのことに気づきませんでした。彼女は身近に落ちているしあわせを、ことごとく踏みつぶしてしまったのですから。
みなさんはしあわせを見逃さないで下さい。それは「王子様」ではないかも知れません。だけど、あなた次第で必ず「王子様」になるのです。
ナニー・ドス(Nannie Doss)1905年生まれ。1955年5月に4人の夫を殺害したかどで有罪となり、終身刑を宣告された。彼女はこの他にも2人の子供と2人の姉妹、母親、孫、甥の7人を殺害したことを認めている。1965年6月2日、獄中で白血病のために死亡した。
(2010年2月7日/岸田裁月) |