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子供たちのための犯罪読本 1
欲張りマルタ



 むかしむかし、ウイーンにマルタという名の娘がいました。
 愛嬌がある、可愛らしい娘でした。家が貧しかったので、15歳の時から洋服屋で働き始め、たちまち店の看板娘になりました。
 やがて金持ちじいさんの目にとまり、彼女は二号さんになりました。
 二号さんとはお妾さんの俗称です。本妻とは別の愛人です。むかしはそのような者を囲うことも、世間的に許されていたのです。
 1年後にじいさんは死んでしまいます。マルタはじいさんの別邸とかなりの遺産を手に入れました。当然のことながら、本妻は怒り狂います。
「あの小娘が毒を盛ったのよ!」
 このように騒ぎ立て、遺体を掘り起こして再検査すると云い出しました。これを息子がなだめます。
「それじゃ親父があんまりだ。安らかに眠らせてあげようよ」
 こうしてマルタはまんまと大金を手に入れたのです。今となってはマルタがじいさんに毒を盛ったのかどうかは判りません。

 やがてマルタはエミールという名の青年と結婚します。じいさんが死ぬ前から密かに通じていた青年です。
 貧乏人が棚ぼたで金持ちになると、異常な浪費を始めるのが世の常です。マルタも例外ではありませんでした。瞬くうちにじいさんの遺産を使い果たしてしまいます。だからといって、元の貧しい暮らしに戻る気は毛頭ありません。では、マルタはどうしたのでしょうか? なんと、夫のエミールに保険をかけると、その足に斧を振り下ろしたのです。
 嘘のようですが、本当にあった話です。
 愛しい人を傷つけてまで贅沢がしたい。そんなマルタの強欲ぶりには驚かされますが、それ以上に信じられないのが、素直に足を差し出したエミールです。完全にマルタの尻に敷かれています。もはや奴隷と云ってもよいでしょう。
 ところが、エミールは膝から下を切断するハメになったにもかかわらず、保険金はビタ一文も支払われませんでした。「木を伐っていたら、過って足に振り降ろしてしまった」との説明を信じる者はいませんでした。なにしろエミールの足には斧が別の角度から3度も振り降ろされていたのです。どんなにうっかりさんでも、自分の足に斧を3度も振り降ろす人はいないでしょう。
 これに対してマルタは、
「医者が傷口の手を加えたのよ! あたし、見たんだから!」
 などと苦しい云い逃れをしましたが、証人である看護士を買収したのがバレて、詐欺の容疑で逮捕されたのです。まことに愚かなマルタでした。

 刑務所の中でマルタは、更正するどころか、悪い知恵をつけました。それは毒物に関する知識でした。出所後、間もなく夫のエミールが死亡します。死因は結核と診断されて、マルタはこのたびはめでたく保険金を受け取りました。
 1ケ月後には下の娘が死亡しました。マルタはまたしても保険金を受け取りました。
 間もなく親類の未亡人も亡くなりました。マルタはこのたびは保険金と屋敷を手に入れました。
 マルタはその屋敷で下宿屋を始めました。やがて間借人の未亡人が亡くなりました。マルタは彼女にも保険をかけていました。赤の他人に保険をかけていたのですから、疑われても仕方がありません。未亡人の息子の通報により、マルタは逮捕されました。遺体からはタリウムという毒物が検出されました。鉱物性の猛毒で、むかしはネズミ捕りに使われていたので、たやすく手に入ったのです。
 夫のエミールからも、娘からも、そして、まだ生きている息子からもタリウムは検出されました。なんと、マルタは保険金を手に入れるために、家族をみな殺しにするつもりだったのです。

 こうしてマルタは殺人の容疑で有罪となり、死刑を宣告されました。方法は斧による斬首です。かつて夫の足に斧を振り降ろした欲張りマルタは、自らの首に斧を振り降ろされたのです。因果応報とはまさにこのことです。
 今回は「強欲は無欲に似たり」という教訓のおはなしでした。欲張り過ぎるとロクなことがありませんよ。注意しましょう。
 


 マルタ・マレク(Martha Marek)1904年生まれ。夫のエミール・マレクと娘のインゲボルグ、スザンヌ・レーヴェンシュタイン、キッテンベルガー夫人の4名を毒殺した容疑で1938年12月に処刑される。英国の作家、コリン・ウィルソンをして「強欲犯の犯罪には一種異様な『訳の判らなさ』が漂う」と云わしめたほどの強欲ぶりには唖然とさせられる。

(2010年2月5日/岸田裁月)