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子供たちのための犯罪読本 3
愛ゆえに


 むかしむかし、フランスにレオンという名の娘がいました。
 彼女の生い立ちは悲惨そのものでした。両親が大酒飲みで、虐待されて育ったのです。それでも気立ての優しい娘に成長しましたが、満足な教育を受けなかったためにオツムが弱く、村の若者たちの慰みものにされてしまいました。いわゆる「公衆便所」というやつです。不特定多数の男性と性交渉を持つ女性のことを揶揄する俗語ですが、みなさんはまだこんな言葉を知る必要はありません。

 学校を卒業後、工場に働きに出たレオンは、やがて運命の男と出会います。自動車修理工のエミールです。ダンスホールで知り合った2人は、翌日の午後にデートの約束を交わします。ところが、エミールは約束の場所には現れませんでした。
 半年後、2人はカーニバルで偶然に再会します。
「半年も遅れやがって」
 エミールがおどけて云いました。
「まあいいや。こうしてまた会えたんだから」
 その日、2人は場末の安ホテルで結ばれました。レオンの生涯で最も幸せなひとときでした。

 2人は日曜日になるとバイクでダンスホールに出かけ、その後は安ホテルというお決まりのデートを繰り返しました。やがて結婚を語り合うようになり、レオンはエミールの両親にも紹介されて優しく迎えられました。なにもかもが好転しているかに思われました。ところが、レオンが生まれながらに背負った不幸が次第に忍び寄ります。
 始まりはバイクの事故でした。頭を打ったレオンはそれ以来、頭痛と憂鬱に悩まされるようになりました。エミールはそんな彼女を次第にうとましく思い始めました。そして、妊娠。エミールの指示で堕胎しましたが、レオンの憂鬱はますますひどくなって行きました。
 挙げ句の果てに、堕胎のための無断欠勤を理由に、レオンは工場を解雇されてしまいます。母親はこれをなじります。
「あんたがクビになったら家計はどうなるのよ!」
「おかあさんが働けばいいでしょ!」
 父親にボコボコに殴られたレオンは、泣きながら一晩中自転車を漕ぎ、エミールが勤める工場へと向かいました。ところが、エミールはこれまでの彼とは別人でした。
「へえ、大変だねえ。だけど、俺も忙しいのよ」
 つっけんどんに鼻であしらうばかりです。行く場所もなく金もないレオンは、路上で数日過ごした後、街角に立ってからだを売りました。そして、その金で拳銃を買いました。自殺するためなのか、それともエミールを殺すためなのか、それはレオンにもよく判りませんでした。

 数日後、レオンはエミールをデートに誘い出すことに成功しました。場所は1年前に2人が出会ったカーニバルです。2人の会話ははずみません。やがてエミールがこのように切り出しました。
「おれ、北アフリカに働きに出るつもりなんだ。たぶん、もう帰って来ない」
「じゃあ、私たちの結婚はどうなるの?」
 エミールは肩をすくめて、
「誰か他の人を見つけてくれよ」
 2人の間にしばらく沈黙が流れます。やがてレオンが口を開きました。
「判ったわ。お別れにもう一度キスして」
 2つの影が1つになった時、レオンは銃口をエミールの首に押しつけて、そのまま引き金を引きました。

 法廷でレオンはこのように証言しました。
「彼を愛していました」
 だから殺さざるを得なかったと釈明したわけですが、誰も彼女に同情しませんでした。たしかに、レオンがエミールを殺したのは事実です。ゆえに終身刑は已むを得ないのかも知れません。
 ただ、これだけはみなさんに判って頂きたいのです。被害者が実は加害者である場合もあり得る、ということを。レオンの心はエミールに踏みにじられました。その結果としての悲劇だったのです。



 レオン・ブーヴィエ(Leone Bouvier)1929年生まれ。1952年に恋人のエミール・クレネーを殺害した容疑で逮捕され、終身刑を宣告された。

(2010年2月7日/岸田裁月)