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3. ウィリーとマリオン

 ハーストとマリオン・デイビスとの出会いは1917年、ジークフリード・フォーリーズ(ニューヨークの人気レビュー)でのことだった。この陽気な金髪娘はここで踊り子をしていたのだ。桂三枝ではないが、一目会ったその日から、恋の花咲くこともある。二人はその日のうちにも結ばれた。ウィリー54歳はすべてを捧げたが、マリオン19歳は金目当てであったことは云うまでもない。

 こうして思いもよらない大物のパトロンを得たマリオンは以後、トントン拍子の快進撃である。ハーストは映画会社「コスモポリタン・プロダクション」を設立し、彼女が主演の映画だけ、計45本も製作した。もちろん、そのすべてが超大作。《赤い風車》のセットでは、オランダの田舎町をそっくりそのまま再現し、凍った運河のシーンがあると聞けば、巨大な冷却装置を購入して本当に川を凍らせてしまった。加えてハースト系の新聞雑誌は彼女をこの上ない美辞麗句で褒めそやす。
 曰く「ハリウッドの奇蹟」。
 曰く「映画史上最大のスター」。
 しかし、観客は正直である。劇場は閑古鳥が鳴き、すべての映画が赤字だった。マリオンは、救いようのない大根だったのである。



 

 そんな訳で、スターにはなれなかったマリオンではあったが、しかし、巨万の富は獲得した。ウィリーは彼女の映画作りと同様に、二人の愛の巣作りにも浪費を重ねた。伝説の「ザナドゥ」、サン・シメオン宮殿には驚くなかれ、3千万ドル以上の金員が費やされた。
 この人類が作り出した最も醜悪な成金御殿は、数十の大広間を保有し、しかもそのすべてが高価なムーア様式だった。壁にはかつてフランスの瀟酒な城を飾ったゴブラン織りが掛けられ、ラファエロやレンブラント、ルーベンスといったルネサンス絵画の本物が至るところに飾られていた。各界の著名人を招いて夜ごとの響宴を楽しんだ大晩餐室には、天井からハースト家の旗が垂れ、壁の鏡板に沿って甲胄が並び、部屋の中央では巨大な暖炉の火が燃えさかっていた。

 サン・シメオンは本格的な動物園を持ち、シマウマやキリン、カンガルー、バッファローなどが放し飼いされていた。自然をこよなく愛するハーストは、城内での殺生は一切認めなかった。ネズミの退治も許さなかった。かくして城はネズミで溢れた。同様に、ハーストは枯れた木々の伐採さえも許さなかった。そのため、使用人たちは木木が枯れると、これに緑のペンキを塗って誤魔化していた。



 ハリウッドの名士たちは、サン・シメオンが出来てからは毎週末に汽車に乗るのが習慣となった。路線は彼らを盛大なるパーティ会場へと導いた。ハーストが本線から支線をサン・シメオンへと引き込ませていたのである。
 パーティの常連にはMGM社長ルイス・B・メイヤー、活劇の貴公子ダグラス・フェアバンクス、その妻にして国民的アイドル、メアリー・ピックフォード等がいた。勿論、ダグとメアリーの共通の親友、チャーリー・チャップリンもまたその一人だった。
 そして、チャーリーは当時、ハーストの愛妾マリオン・デイビスと姦通していた、となると話はただごとではない。チャーリーはその代償を払わなければならない。