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トゥルー・ストーリーズ
タブロイド=いんちき新聞の顔役たち



『トゥルー・ストーリー』

 デヴィッド・バーンが監督した映画『トゥルー・ストーリー』は「タブロイド」に捧げられたオマージュである。

「タブロイド」とは「いんちき新聞」のことである。通常の新聞の半分のサイズをタブロイド判と云うが、このサイズの新聞には胡散臭い大衆紙が多い。そのため、この手の「いんちき新聞」の総称を「タブロイド」と呼ぶようになったのだ。判りやすく云うならば、我が国の「東スポ」がまさにこの「タブロイド」だ。「人面魚」や「人面蜘蛛」、それから芸能スキャンダル、「宮沢りえ自殺 か?」などと「か?」の字が小さく印刷してある新聞が、すなわち「タブロイド」なのである。

「東スポ」を信じる者はまさかいないと思うが、あちらでも「タブロイド」を信じる者は皆無である。嘘八百であることと知りつつ、その奇想天外な記事や写真を楽しんでいる。これが「タブロイド」の、そして「東スポ」の正しい読み方である。しかし、こうした習慣が身についたのはそう遠い昔のことではない。近年までは多くの者が「タブロイド」に騙され、そしてパニックを引き起こしていたのだ。


1. ウィンステッドの大嘘つき

 1895年8月、ニューヨークの新聞社は奇妙な電信を受け取った。なんでも、コネチカット州ウィンストンに全裸で毛むくじゃらの野生児が出没し、町民を脅かしているというのだ。興味を抱いた各社の記者たちはウィンストンへと飛んだ。
 町は平穏そのものだったが、大都会からマスコミが押し寄せたと知るや、住人たちは件の野生児について熱く語り始めた。
「私も見たわ。毛むくじゃらでね、のっしのっしと歩いてたわ」
「なんだか牙がはえていたようだったな」
「まるでゴリラのような体格だったよ」
 野生児はいつの間にかサスカッチのような猿人となり、日を追うごとに巨大化した。
 全国紙にこれらの記事が掲載されると、ウィンステッド中がパニック状態に陥った。住人たちは外出することを恐れた。やがて100人以上の自警団が組織され、怪物退治に繰り出した。ところが、彼らが発見できたのは、野生のロバのみだった。

 やがて真相が露見した。そもそも毛むくじゃらの野生児などいなかった。すべてはウィンストンの『イヴニング・シチズン』紙の若い記者、ルー・ストーンが作り上げたでっち上げだったのだ。それが群集心理に作用して、どんどんと成長して行ってしまったのである。
 ストーンはこの事件で一躍有名になり、その後も地元ウィンストンの奇妙な動植物についての記事(もちろん嘘っぱち)をニューヨークの新聞社に送り続けた。例えば、

「焼きリンゴのなる木」
「しゃべる犬」
「聾唖の豚」
「独立記念日に赤白青三色の卵を産んだ雌鶏」
「運賃代わりに卵を産んでいった鴨」
「わさび大根の畑で放牧され、辛いミルクを出した乳牛」
「口笛を吹く三つ口の猫」
「蝿を寄せつけないように頭に蜘蛛の絵を描いた男」等々。

「ウィンステッドの大嘘つき」の愛称で親しまれたストーンが1933年に世を去ると、ウィンステッドの入り口にはこんな標識が立てられた。

「1779年に誕生したウィンステッドは、この街に実在するとされた奇想天外な物語のおかげで地図に記載されるに至った。これはひとえにウィンステッドの大嘘つき、ルー・ストーンの賜物である」

 まさに「タブロイドの父」と呼ぶべき人物だった。




ベルナール・マクファデン


ルドルフ・ヴァレンチノの捏造写真

2. ベルナール・マクファデン

 ルー・ストーンがタブロイドにおける「捏造記事の父」であるならば、「捏造写真の父」は間違いなく、このベルナール・マクファデンだろう。
 このいんちき出版界の大物は、当初はいんちき医療家として登場した。すなわち「自然こそは万能薬」と信じる自然療法の提唱者だった。ボディビルを推奨し、1912年には『フィジカル・カルチャー百科』を出版、彼はここで小児麻痺や腎臓病、癌といった難病はすべて単純な食事療法で治すことが出来ると主張した。そして、女性のハイヒールは性的能力を減退させ、将来生まれる子供に悪影響を及ぼすと断言した。

 やがて『トゥルー・ストーリー』等の大衆紙にも進出した彼は、悪辣な捏造写真(顔に別人をはめ込んだ、いわゆるアイコラのようなもの)で多くの人々を欺いた。中でも特に有名なのがルドルフ・ヴァレンチノの遺体の捏造写真である。

 1926年8月、銀幕のスターにして「いい男」の代名詞、ルドルフ・ヴァレンチノがニューヨークで病に倒れた。急性虫垂炎、俗に云う盲腸炎である。直ちに緊急手術が施されたが、腹膜炎を併発し、8月23日、あっけなく逝ってしまった。まだ31歳だった。
 この第一報を聞いたマクファデンは、いち早く二人の部下をブロードウェイの斎場へと派遣した。一人は写真を撮るためだが、もう一人は柩に身を横たえるためだ。こうして撮られた写真にヴァレンチノの顔がはめ込まれ、「安らかに眠る銀幕の恋人」と題されて、翌日の『イブニング・グラフィック』紙の第一面を飾った。それはなんと、ヴァレンチノの遺体が斎場に運ばれる前のことだったというから呆れてしまう。
 この不正を非難されたマクファデンはこのように反撃した。

「この世では眼に見えたものが、すなわち真実なのだ。だから私の報道はすべて真実なのだ」

 無茶苦茶なことを云うおっさんである。
 しかしこのおっさん、本気でそう信じていたフシがある。己れの主張を盲信し、そのために命を落としているのだ。断食療法の提唱者だった彼は、黄疸の症状が出ても一切の治療を拒み、3日間断食した挙げ句に死亡している。享年87歳。まあ、長生きには違いないが、彼の健康法を実践していれば150歳まで生きられた筈なのに。おかしいなあ。




ルドルフ・ヴァレンチノ


ヴァレンチノの葬儀(これは本物)

3. 黒衣の女

 ヴァレンチノついでにもう一つ、その死にまつわるこんないんちきを御紹介しよう。
 ルドルフ・ヴァレンチノは今日をしてなお語り継がれる稀代の色男だが、その伝説をより神秘的にしているのが「黒衣の女」の存在である。「黒衣の女」とは、毎年8月23日の命日になると彼の墓前に跪き、赤い薔薇を残して立ち去る謎の女のことである。そして、驚くべきことに、彼女はヴァレンチノの死後80年を経た今日でもなお出没しているという。

 事の発端は、その死から2年を経た1928年8月23日に遡る。喪服に盛装した正体不明のこの女性はヴァレンチノの墓前に跪き、深く祈りを捧げたかと思うと、誰とも口をきかずに立ち去った。この模様を偶然にフィルムに収めた者がいた。映画製作者のラッセル・バードウェルである。彼はそのフィルムを『ハリウッドの裏側』という短編の記録映画で紹介した。ナレーションは以下の如く。

「彼女は毎年8月23日になると、夜明けと共に訪れて、朝靄と共に消えて行く。彼女の正体を知る者はいない。彼女は知られたくない筈だし、また我々も知るべきではない」

 勘のいい読者ならもうお判りだろう。「黒衣の女」はバードウェルが仕掛けたヤラセだったのである。彼は映画をドラマチックに盛り上げるために、女を雇って墓前に跪かせたのだ。

 ところが、現実とは面白いものである。「黒衣の女」はバードウェルの手を離れ、一人歩きをし始めた。翌年から毎年のように「黒衣の女」が、時には何人も出没したのだ。1938年には「黒衣の女」伝説はピークに達した。多くの記者がその正体を突き止めようと夜明け前から待ち構えた。

 最初に現われた「黒衣の女」はデブちゃんだったのでやり過ごされた。二人目はガリガリで、これもまたやり過ごされた。そして三人目は、おおっと、こいつはいい女。しかも運転手付だ。記者たちは彼女に殺到し、しかし、来年もこのネタで稼ぐためにその名の公表は差し控えられた。そんなわけで「黒衣の女」の正体は依然として謎のままである。




セントラルパーク動物園

4. 猛獣大脱走

 と、ここまでは罪のないヨタ話だが、これからの話はちょっと頂けない。

 1874年11月9日月曜日、『ニューヨーク ・ヘラルド』紙のオーナー、ジェームス・ゴードン・ベネットは、いつものようにベッドの中で朝刊を受け取り、一面を一瞥するなり腰を抜かした。そこにはなんと、セントラルパーク動物園から猛獣が脱走し、獲物を求めて街を徘徊している旨が報じられていたのだ。

「死者は既に49人、そのうち身元が判明したのは27人だけである。夜明けと共に、死者の数が更に増える恐れもある。踏まれたり、手足をもぎ取られたりと、さまざまな状態で傷つけられた者は200人にも及ぶ。12頭の肉食獣(トラ、ヒョウ、ライオン等)はまだ捕獲されておらず、潜んでいる場所も不明のままである」

 これを読んで呑気に出歩く者はいない。市民は家に閉じこもり、死に物狂いで窓に板を打ちつけた。
 この時代、テレビはおろかラジオも電話もまだ発明されていなかった。市民は情報から隔絶され、ただひたすらに家具に隠れて震えているよりほかなかった。もちろん警察無線もなかった。だから、警官も記事の真偽を確認する術がなかった。本署に詰めていた警官は『ニューヨーク・ヘラルド』の嘘を知ることが出来た。しかし、それ以外は武装して、セントラルパークを血眼で捜索した。

 始末の悪いことに、他の新聞社もこの記事を信じてしまった。『ニューヨーク・タイムズ』の編集長は馬を走らせて警察本署に怒鳴り込んだ。

「どうして『ヘラルド』にだけこんなスクープをさせるんだ!。俺たちにも教えんかい!

 このいんちき記事の仕掛人は『ニューヨーク・ヘラルド』の編集長、トーマス・コネリーだった。彼は以前、猛獣の檻の管理が不行届きだと動物園を非難したことがあった。しかし、動物園側は一向に腰を上げる気配がない。そこで業を煮やした彼はこの「特別記事」をでっち上げたのだ。

「もちろん、以上の記事はすべてフィクションである。しかし、動物園がしかるべき予防措置を講じない限り、いつでも起こりうる事態である」

 上のコメントが記事の最後に添えられていた。しかし、そんな所まで読む者はいない。大衆は怒り狂ったが、コネリーは意外にも編集長の座に留まった。
 何故か?。
 彼のおかげで『ヘラルド』の売り上げが五千部ほど増えたからである。




鉄道を破壊する義和団

5. 万里の長城取り壊しデマ

 諸君は「義和団」を御存じであろうか。
「義和団」とは19世紀末から今世紀にかけて「扶清滅洋」のスローガンを掲げて暴れまわった白蓮教系武装宗教結社のことである。
 当時の中国山東省西部では、列強に強いられた開港によって綿などの家内工業が大打撃を蒙っていた。また、列強の圧力を背景にしたキリスト教の布教活動が盛んになっていた。こうした状況の中で、次第に排外民族主義の気運が高まり、これを最も過激にアピールしたのが「義和団」だった。「義和拳」を修得する彼らは、繰り返し西洋文化の象徴であるキリスト教会や鉄道を攻撃し、列強を大いに悩ませていた。やがて清朝軍を打ち破り、北京に進出。西太后を手玉に取り、列強大国に宣戦布告。8ケ国連合軍にコテンコテンにされて遂には討ち死。西太后は西安に逃げ出し、事件は終結を迎えた。これが世に名高き「義和団事件」の概要である。この事件は『北京の五十五日』として映画化されているので、これを通じて事件を知った方もおられることだろう。

 ところで、この「義和団事件」の引き金となったのがいんちき新聞記事だったという事実を御存じであろうか?。タブロイドもいよいよ歴史を動かしたのだ。多くの死者を出したことを考えれば、トンデモないことである。

 数社の記者が集まっていんちき記事を捏造することは、一昔前ではごく当り前のことだった(らしい)。彼らは通常、打ち合わせた上で同じ事を記事にするので、お互いに仲間の記事に信憑性を与えた。このデンバーの四人組(『タイムス』のジャック・トーネイ、『リパブリカン』のアル・スティーブンス、『ポスト』のジョン・ルイス、そして『ロッキーマウンテン・ニュース』のハル・ウィルシャー)も酒の席でちょっとしたイタズラを思いついた。翌日にも記事になったそのイタズラとは、こんな内容だった。

「長年『眠れる大国』だった中国は、このほど対外貿易にも積極的に力を注ぎたい意向を合衆国政府に明らかにした。そして、外国との通商を歓迎するジェスチャーとして、万里の長城を解体することを決定した。以上のニュースは、本紙記者が長城の解体計画に参加する4人のアメリカ人技師から取材したものである」

 それは1899年6月25日、ちょうど中国で民族主義が加熱し始めた頃のことだった。まったくデンバーの田舎者は世界情勢に疎いのか、とんでもないイタズラをしてくれたものだ。
 もっとも、この記事自体はそれほど話題にはならなかった。しかし、ニューヨークの大新聞がこの記事を引用してからは騒ぎは大きくなる一方だった。或る新聞などは挿絵入りの見開きで大々的に報じた。中国政府の決断の重要性を説く論評も加わり、更にはニューヨークを訪れた中国高官へのインタビューまでが添えられていた。このインタビューは明らかにでっち上げだったが、そんなことはデンバーの4人組にしか判らなかった。
 こうなってしまえば、このデタラメが海を渡って欧州に広まり、やがて中国にまで伝わるのは時間の問題だった。中国政府は記事を否定したにもかかわらず、義和団は一向に信じなかった。中国で布教活動をしていた牧師は、この時の模様をこのように語っている。

「記事は派手な見出しと過激な論評と共に掲載された。否定は何の役にも立たなかった。義和団は怒り狂い、既に聞く耳を持たなくなっていた」

 これに蒼ざめたのはデンバーの4人組である。なにしろ、彼らの冗談が大国の内乱を引き起こしてしまったのだ。彼らは早速、責任逃れのために口裏を合わせた。建築技術者を騙る4人のよそ者に担がれたのだということにした。状況証拠を作るため、ホテルに出向いてフロント係を買収し、4つの偽名で宿泊人名簿にサインした。さあ、これで大丈夫。安心した4人組は「スクープ」を祝してビールで乾杯、仲間が生きている間はこのことは絶対に口外しないと誓いを立てた。そんな訳だから、このでっち上げの真相をハル・ウォッシャーが打ち明けるまでには、相当に長い年月を経なければならなかった。

 とまあ、本章ではここまで。史上最悪のいんちき新聞ジャーナリスト、ウィリアム・ランドルフ・ハーストについては、後の章でじっくりと語ることとしよう。


参考資料

詐欺とペテンの大百科』カール・シファキス(青土社)
『世界変人型録』ジェイ・ロバート・ナッシュ(草思社)
『だませ!〜ニセモノの世界』三國隆三(青弓社)
『シリーズ20世紀〜4・メディア』(朝日新聞社)


 

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