《マーキュリー劇場》の後半を聞いていた者は、放送関係者か、そうでなければよっぽど豪胆か思慮深い者だけだった。その他の者は家から飛び出し、車に飛び乗り、緑色の怪物の脅威から逃げ出した。特にドラマの中心となったニュージャージー州ニューアークでは数百台の車が路上を埋め尽くし、ドタバタ喜劇さながらの騒動を繰り広げた。 ニュージャージー州ヒルサイドでは、興奮した男が派出所に駆け込んで、 一方、ニューヨーク市マンハッタン島では、バス・ターミナルは行き先を告げない乗客でごった返した。 アラバマ州バーミンガムでは、人々が教会に集まり、最後の祈りを捧げた。かたやインディアナポリスでは、ミサの最中に駆け込んだ女性がヒステリックに叫んだ。 |
ここで諸君は疑問に思われるかも知れない。何故、ラジオ番組如きがこれほどのパニックを引き起こしたのだろうと。その理由は時代背景にある。当時の合衆国市民は、潜在的に戦争への不安、とりわけナチズムの恐怖に怯えていた。また、大恐慌の記憶がまだ新しい時であり、人々は飢餓の恐怖を現実的なものとして受け止めていた。だからパニックに陥った人々を一笑に付すことは出来ないのである。 サンフランシスコでは、服を引き裂かれた女性が警察署に駆け込んで、涙ながらに訴えた。 ペンシルバニア州ピッツバーグの或る家庭では、夫が帰宅すると、妻が毒を飲もうとしていた。これを制すると、 南西部の或るカレッジでは、寮の女子学生が抱き合って泣いた。彼女たちは代わる代わるに、両親にこれが最後となる筈の長距離電話をかけに行く時だけ、お互いから身を離した。 中には勇敢な者もいた。 ワシントン州コンクリートでは、《マーキュリー劇場》における火星人が全国の通信施設や電源を襲う場面で、たまたま停電が起きた。そのために街中が大混乱に陥り、もうなにがなにやらわけが判らなくなった。 全米の病院はわけが判らなくなった人々で溢れた。中には恐怖のあまりに心臓発作を起こす者もいた。 |
これほどの大混乱にもかかわらず、死者は一人も出なかった。しかし、負傷者や気のふれた者は続出し、《マーキュリー劇場》放送中のCBSにクレームや問い合わせ、その他諸々の電話が殺到した。或る局員はリバーサイド地区の住民から、こんな電話を受け取った。 |