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里の近くにあるこの鳥居は、稲根神社、三宝神社の入り口。稲根神社の本殿は島の南の辺りにあり遠いので、こちらにお参りを。森の中に佇み、海を感じる不思議な神社。 |
行き方 |
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港から急な坂の一本道をひたすら進む。しげお工房、宿にしかわ、掲示板のある交差点まで来たら右に曲がり新しいコンクリートの階段を上ると幼稚園がある。その小さな運動場を抜けるとこの鳥居がある。(港から10分程度) |
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ヴァイキング号の錨巻回機の燈篭 |
ヴァイキング号の錨の巻上げ機を台座に再利用した燈篭が、鳥居の手前に建てられている。 |
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ヴァイキング号の錨 |
稲根神社の境内にある。明治維新の時代に座礁した米国商船バイキング号の錨が、記念碑と共に見ることができる。 |
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稲根神社拝殿 |
2001年に新しく立て直された。以前は境内の地面は玉石が敷き詰められた素朴な装いの神社であったが、現在はすっかり近代的になっている。 |
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かつて里稲根神社拝殿の縁の下の隙間を飾っていた板。
拝殿の縁の下に、荒波に舞うオオミズナギドリ(呼称カツオドリ)の彫り物があった。このすぐ下の地面には海から運んできた玉石が敷き詰められていた為、本物の海を眺めているように作られていた。また全ての彫り物のカツオドリは本当の海の方向を向いて彫られていた。眺めていると時より大樹の枝の隙間から海風が吹き抜けたものだった。現在は建替えられた為、見ることはもうできない。
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三宝神社 |
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江戸時代にツゲの櫛が流行すると、御蔵島は本格的なツゲの生産を始めました。江戸時代当時はツゲの出荷を三宅島経由で江戸に出荷していましたが、便宜の為に三宅島の役人に御蔵の印鑑を渡した為に、1686〜1729年の40年間、三宅島の役人の搾取にあいつづけ、三宅島の支配下に置かれてしまいました。そんな時代が続いていたあるとき、絵島生島事件に関与した罪で奥山交竹院が御蔵島に島流しにされました。奥山交竹院は、島の大変苦しい生活を目の当たりにし、御蔵島の神主である加藤蔵人と、当時江戸に居て二人を助けた桂川甫筑と共に幕府に働きかけ御蔵島独立を果したのでした。稲根神社の境内にはひっそりと、この三人を祀る石の社が建っています。毎年11月10日には三宝神社祭が行われます。 |