御蔵島の歴史

江戸時代.1
江戸の町人文化とツゲのクシ
 江戸時代になると御蔵島は江戸幕府の直轄領となり、伊豆韮山代官が支配しました。江戸時代は "Pax Tokugawa” と呼ばれる程、世界的にも稀に見る長期安定政権が支配しました。そして江戸は、人口と規模では当時世界最大の都市となり、町人文化が栄え、商業取引も活発化しました。その世界最大の都市江戸で大流行したのが「ツゲの櫛」だったのです。御蔵島のツゲ材はその中でも最も高品質とされ、ツゲの一大産地として栄えて行きました。

神主統治の時代
 江戸時代に御蔵島を統治したのは、御蔵島の神主である加藤家でした。神主は代々世襲され、名主1名、年寄2名が村政の執行に当たっていたと言います。本土との行政上の手続きなどは、交通の便の良い三宅島に中継され、御蔵島の神主の承認を得てから諸手続が行われた時代が続きましたが、ここで重大事件が発生します。

三宅島からの搾取時代
 1683年に、三宅島の役人が、海を渡って頻繁に承認を得る手続きが大変だからという事で、御蔵島の印鑑を三宅島に預けるように願い出てきました。神主は一旦断りますが、執拗に迫られ、とうとう交通の不便さから三宅島役人に御蔵島の印鑑を預けてしまいました。これによって正規手続きは三宅島役人の都合のままになってしまい、最後には財産まで全て三宅島役人に奪われてしまいました。切り出せるツゲは全て切り出されてしまい、その工賃まで踏み倒したと記録されています。そうした厳しい時代が御蔵島で始まったのです。

 
     御蔵島のツゲの原木