御蔵島の歴史 2004年06月30日更新
ゾウ遺跡
 縄文時代の縦穴式住居の跡が多数、現在の交番あたりの断崖付近で発見されました。約6千年前の遺跡とされ、東京都内では最古の縦穴式住居跡でした。またこのころ既に海上交通があったことが発掘品により確認されました。ここでは多数の縄文式土器の他に、黒曜石(こくようせき)でできたヤジリなどの石器も多数見つかりました。光沢のある黒いピカピカの石のヤジリなどを博物館で見たことがあるでしょう。伊豆諸島では神津島のみで採取できる石ですので、船を使って持ってくるしか方法がありません。ですので海上交通があった証拠であると考えれています。また御蔵島よりもさらに南にある八丈島では縄文時代の遺跡から神津島の黒曜石と本土の黒曜石も見つかっています。縄文人が本土から丸木舟に乗って海上を渡って来たと考えられています。
 伊豆諸島で発見される縄文遺跡は、その多くが本土が見えるところにあるそうで、御蔵島の遺跡もその一つです。三宅島や本土の方向を眺めるこの高台に居住していた縄文人は、おそらく三宅島を経由して丸木舟がここまで定期的にやって来るのを待っていたのでしょう。この他、ナコウ遺跡と言って、現在のふれあい広場のあたりでも黒曜石のヤジリ(2cm〜3cm)が多数、見つかっています。

   
 しかしこの縄文遺跡の時代の後、御蔵島南東部が噴火をしていると言われています。高橋基生博士がその著書「御蔵島西洋黒船漂着一件記」の中で「ゾウ遺跡から出土した土器は縄文式前期のものだけで中期・後期・晩期のものは一切見あたらなかった・・・(以下云々)・・・何故だろう」と述べています。もしかするとこの縄文人たちは縄文時代前期の終わり頃に起きた噴火と共にその姿を消したのかもしれません。
   

御蔵島の交番近くにあるゾウ遺跡
 
ゾウ遺跡で発見された黒曜石の石器。同時に発見された縄文土器などは御蔵島ではなく他島に行ってしまっている。御蔵島では黒曜石の石器をかつてはホシノクソと呼んでいた。現在ではしげを工房でのみ見ることができる。
ゾウ遺跡は、現在の交番の前の崖っぷちのあたりあった。ナコウ遺跡は現在のふれあい広場のあたりだ。
交番の向かいの駐車場のブロック塀の外側を、ブロック塀沿いに歩いて行くと、崖の手前にあります。